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ADHD×HSPのメリットとは
テーマの結論
:ADHDとHSPが併発するメリットは、2つの性質が持つ衝動性とびびりという特徴がお互いを中和しあうこと。
こんにちは。
アイスランド旅行からロンドンに帰ってきました。
まだ旅行の興奮冷めやらぬ状態なので、これを良い機会としてずっと書きたかったテーマについて書こうと思います。
ADHD×HSPは悪いことばかりじゃない
インターネット上の”生きづらい界隈”(?)では、ADHD、HSPならではの困りごとや苦手なことがあるある形式や専門家による寄り添い形式など様々な形で紹介されています。
両者ともに”生きづらくなるもの”として流布しているため、”ADHD×HSP”というと、「二つもしんどいもの抱えてるなんてとっても生きづらいんですよ、わたし」という生きづらさバッジ数2個、みたいな印象を与えます。
今までわたしは、「自分だけなぜこんなに生きるのが下手なんだ」「なぜこんなにも自分の普通が理解されないし、社会の普通が理解できないんだ」と孤独感を感じてきました。
そしてそのつらさを緩和するために、わたし自身、紙媒体(新書、科学雑誌系、新聞、自己啓発系、自伝系)、国内外のインターネット上の情報(SNSのあるあるまとめ系、クリニックやカウンセラー運営のサイト等)、中毒のようにADHDやHSPに関する情報を読みまくってきました。
その結果、気づいたのです。確かに、ADHDを持つ人は、神経定型発達者が多数の社会で生きづらい。HSP(多分わたしはHSPの方が強い)を持つ人も、自分の感覚を理解してもらいにくく生きづらい。
ただ、よくある困難として挙げられている例を見ていると、一方の性質のおかげでもう一方の性質による困難が防がれていたり中和されていることが多いと気づいたのです。
ADHDのよくある困難をHSPが補完している例①
:衝動的な行動が原因で日常生活や仕事に支障をきたす。
衝動買い、何かの依存症など。
HSPはわかりやすく言えば、”びびり”。
そのため、ADHDの衝動性が発動しても、私の場合”びびり”がブレーキとなり、ADHDあるあるとして言われがちな行き過ぎた行動を抑えることができている。
買い物のとき
ADHD自分「うわ、この服かわいい!どうしても欲しくなっちゃったから、買っちゃえ!絶対今買わないと後悔する」
HSP自分「いや別に破産するほどの値段じゃないんだけど、なんかたとえ6千円とかでも思いつきで買って、気づいたら財産無くなって、家賃払えなくなってホームレスになったらどうしよう、、」
社交の場で
ADHDわたし「あ、今これ言いたい!言いたいから言おう!ちょっと言っちゃいけないことも正直に言っちゃうほうが盛り上がるし面白いでしょ!」
HSPわたし「いや、やっぱ発言する勇気無かったわ、、」「あ、待って。自分ばっかりしゃべってない?こいつ自分ばっかしゃべってるやんって思われるぞ。」
※このように書くと、HSPの部分、単純によく周りが見えてて客観的に自分を見たときの声にも聞こえますが、違います。本当にただただデフォルトでびびっているだけです。その証拠に、本当に危ないときと、別に本当は全然大丈夫なときも同じくらいびびっています。見えているからブレーキをかけているわけではありません。そのせいで、いつもやたらびびってるくせに変なところで雑に行動して大トラブルを引き起こしたりします
どちらの性質も正直極端な発想になりがちで、危うい性質なのですが、両極端な性質が同時に発動することにより、結果どちらかの性質による困難を補完している、ということがよくあります。
HSPのよくある困難をADHDが補完している例
逆に、ADHDの性質がHSPの困難を補完していることもよくあります。
HSPの困難として、あまりに繊細なために色々なことが気になってしまい、社交の場が苦手、というのもよく見かけます。
HSPのわたし「今忙しそうだし、話しかけないほうがいいよな、、」「話しかけたらうざがられるかも、、」「うわ、見られてる。なんて思われてるんだろう、、」
ADHDのわたし「うわ、たくさん人がいる!あの人もあの人も気になる!最近ハマってる○○わかってくれるひといないかな~。とにかく話しかけまくって面白い人とか合うひと探そう!」
と、このようにADHD特有の多動性、衝動性が強く働くことにより、社交の場で積極的にコミュニケーションを取ることができます。
ADHDの困難をHSPが補完している例②
そして、前述のような社交の場においても、ADHDの短所をHSPが補完してくれます。
それは、ADHDの特徴を調べると必ず記述のある「他人の気持ちがわからない」という特徴についてです。
わたしは、確かに神経定型発達の人とは感じ方や考え方が異なるので「気持ちがわかる」わけではありません。
ただ、HSPの性質により「細かい変化も常に敏感に察知する」ため、相手の表情、しぐさ、言動などにあらわれるわずかなサインから、「ああ、ほんとは悔しいけど笑ってるのかな」「怒り半分、あきれ半分だな。次怒らせたら危なそう」など、細かくサインを読み取ります。完全にいつも誰の気持ちもわかる、とは言いませんが、外に現れるサインにはかなり鋭敏に(キモイくらいの精度で)気づいて無意識に分析しています。
この性質により、「他人の気持ちがわからない」ことによる人間関係上の困難を抑えられていると思います。
最後に
今回伝えたかったことは冒頭で述べたように、「ADHD×HSPの場合、併発は必ずしも悪いことばかりではない。むしろ、社会適応の助けともなる」ということです。
「いかに生きづらいか」という情報にあふれるADHD、HSP界隈にポジティブな情報も加えたいと思い今回の記事を書きました。
(ポジティブ面については、また少し別の角度で書きたいことがあるので、別で書こうと思います)
少数派であることは社会において厄介なことも多いです。
自分の性質との自分なりの付き合い方を見つけてこの社会でサバイブ、最終的には活かし方を見つけて自分なりに活躍できるような方法をこれからも探っていきたいと思っています。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
今回の画像
自分が持つADHD×HSPのイメージを、copilot画像生成で作成しました。
凧で、ADHDのじっとしていられないところ、風を感じるような表情が、HSPの繊細さを表してみました。
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