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【読書記録】白鯨(上・下)     ハーマン・メルヴィル

白鯨(上・下)
ハーマン・メルヴィル 富田彬訳

捕鯨船に乗れるんじゃないかというくらい、クジラに詳しくなります。捕鯨のノウハウから鯨油の採り方まで丁寧に教えてくれる本だということです……というのは半分冗談にしても、ウソではありません。

まず「語源」と称した古今東西のクジラにまつわる引用や小話が粛々と続き、やっと「語り手」イシュメールが登場。さあ航海が始まるのかなと思いきや、彼と先住民の銛手が懇ろになるエピソード、クジラがらみの教会のお説教、港町の人びとの話、などが延々と語られ、いわゆる本筋はなかなか始まりません。

だけどこの辺がわたしには意外と面白くて、このまま「陸(おか)」クジラ博士になってお終い、でもまあいいかと思いました(注:昔「陸サーファー」という人たちがいた)。それくらい、この異世界への導入部分は興味深かったです。

さて、長い長いイントロのあと、「俺」ことイシュメールがひとりで語るエイハブ船長の率いるピークォド号の航海は、どんなものであったか。

ひと言で表すなら「狂気」。その狂気は、自分の片足を噛み千切ったマッコウクジラ「モービー・ディック」への復讐を誓うエイハブの狂気であり、大洋という密室のなかで、それに感染した、あるいはするしかなかった船員たちの別種の狂気であり、同時にモービー・ディックという自然の一部を悪意の塊として描写することの狂気でもあります。

モービー・ディックは神話のなかで絶対的権力をふるう荒ぶる神のように物語世界に君臨しています。イシュメールの前座的なクジラ話があんなに長いのは、自分たちの神について語る必要があったからなのです。

小説の構造さえも神話――つまりテーマ以外は何でもありの世界――を語るにふさわしいものであることがわかります。そもそも主人公であるエイハブ船長も白鯨もなかなか登場しません。そして章によって、百科全書的だったり、系譜学的だったり、戯曲形式だったり、禅問答のようだったり、冒険/大衆/クイア小説めいていたり、さまざまなのですが、それらはみな、モービー・ディックへの眼差しにおいてプリズムの役目を果たしているわけではまったくないのです。そしておもむろに姿を現すモービー・ディック。この白鯨を殺すことのみに賭ける航海という常軌を逸した設定に、同じくらいとっぴな神話的構造がぴったりマッチしています。この辺を楽しめるかどうかは、好き嫌いがあるだろうと感じました。

さて、「語り手」イシュメールが、なぜわたしたちに「報告」のようにして狂気の航海体験を語っているのかは、ネタバレになるので書きませんが、ひとつ言えるのは、イシュメールは船長エイハブの狂気をそっくりそのまま陸に持ち帰ったということです。

もしかすると海の渦よりも恐ろしいかもしれない狂気の渦に巻き込まれながらも脱出したイシュメール。あの変幻自在の語りは、まさに憑りつかれた者のそれではないでしょうか。

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また今後の自由研究(小学生みたい)として、「白」という色についての考察がされている「その鯨の白いこと」という章を、他の文学作品と合わせて「白」をテーマに分析したら面白そうだなと思いました。
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#白鯨 #メルヴィル #モビー・ディック #アメリカ小説 #文学 #読書  

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