詩集『Reborn』高山京子 を読んで
高山京子氏の第一詩集です。
ネット(noteや旧Twitter)上で読んだ彼女の詩に、みぞおちを打たれるような感じを何度も覚えました。気持ちが弱っているときなど読みながら泣いてしまうことも。
とくにこれとかすごい。
https://note.com/takayamakyoko/n/nfb19dc2f39c9
いたわりあう老夫婦へ向ける眼差しが、激しい性愛に生きることの本質を見つめる心の眼に変化していくさま。「性、なんて」というヤサグレたタイトルは、野暮ったいようでいて一周回って秀逸このうえないです。
一体彼女は何者??
第一詩集を待ちかねて手に入れたことは言うまでもありません。
深い紺色の表紙の面は、スマホで撮ろうとすると自分まで写ってしまうほどでピカピカ、ガラスみたいな無機的で硬質なたたずまい。
でも詩全体には熱く冷たいナマもの感があり、生と性の強烈な呪いが憑かれたように語られている。しかもこの詩人は床に寝そべって頬杖をつき、ちょっと上目遣いで、はにかみさえしながら、それらを語るのです。ラブホでの行為における身の置きどころのないあの感じを「粛々とやるべきことをやり/耐えがたきを耐え/忍びがたきを忍び」なんて暗く不謹慎なユーモアでくるんで突きつけられては、こっちも泣き笑いするしかありません(「伊勢佐木町」)。
上述したnoteの詩もそうですが、高山氏の疑問形で畳みかけるような詩を、わたしはとりわけ愛しています。いたいけな童女の無邪気な問いのようでもあり、満身創痍の中年女の諦念のようでもあり、詩人が首をかしげて問うたびに、こんな世の中でごめんね、わたしが謝るから、そんなに遠くに行かずにこちらに戻って来てちょうだい、と思ってしまう。共感とはまたちょっと違う、不思議な感覚です。
疑問形で構成されたいくつかの詩のなかでも、「なぞ」という1篇は高山ワールドのエッセンスを伝えるものではないでしょうか。「せんせい」へ質問を連発する少年。絶望と希望がまぜこぜになっているようで、結局絶望が勝つと予感させる。モンスターのような詩です。
心と身体のいろんな感触をたしかめるように、渾身で言葉を選び、表現していながら、感情がダダ洩れになるギリギリのところでとどまっている。そのギリギリ感がすごくポエティック。セクシーともいえるし、哀しいともいえる。
わたし自身は文法や訳語を間違えないよう辞書を引き引きつまらぬ文を書いている、文章的朴念仁です。詩に対する感想も雑な気がする。でも「乾いて候」みたいな心持ちのとき、乾きを癒せるのは詩だけ。詩は特別です。言葉で人の心を動かすことができる詩人を尊敬し憧れています。
高山京子さんのできたての詩を読めるこの身の幸せ! 第一詩集刊行、おめでとうございます。そしてこれからも楽しみにしています!