OFFICE TOSHIKI NASU/現状に対する危機的・批判的な視点と在り方②
こんにちは。
今日は気温がぐっと上がりましたね。
虎ノ門の仕事の後に往診に出て、いまは電車の中でこの記事を書いています。
昼下がりの虎ノ門ヒルズは心地よい風が吹き抜けていて気持ち良いです。
さて、前回の記事に続きクリティカルビジネスについて後編を書いてみたいと思うのですが、医療に対してなぜこのような視点を持つようになったかというと批判的なものよりも懐疑的な立場になったからだと思います。
コロナ禍における消毒、マスク、ワクチン接種などはどれくらいの意味があったのか。
それに対して過度に反応する人が排他的になり善悪を示すようにもなりましたよね。
あの時間はいったい何だったのか。
これまで医学を信用してきた人はなぜ医学を信じていたのか。
以前、科学の定義について以下のように紹介しました。
もちろん、はじめての事ですから実証性も再現性も客観性も手探りです。
それでもあの時に正義を振りかざしていた人は一体何を根拠にしていたのか。
私は鍼灸師だから鍼灸を受けるべきだと言いたいのではなく、基本的なことを考えれば栄養・睡眠・運動の見直しが何よりも鍵でした。しかし、対症療法に慣れ親しんだ人たちにとってはそのようなことよりも、その時々の対応が必要だったのだと思います。
医療はあくまでも人間の営みの一部であり、日常と切り離すことができないもの。
人生の目的・ゴールに向けて豊かな人生を送るための手段に医療があることを理解してください。
ですから顧客の要望に合わせてビジネスをデザインしたものや医療ビジネスは本来の医療からかけ離れていくと思っています。
私は患者中心の医療として、人が抱える問題を一緒になって解決していくことを目的に鍼灸をおこなっており、そこには医療独特の「鍼灸師中心」「疾患中心」「技術中心」「生物学的要因中心」「父権的温情中心」という関係はないようにしています。
つまり「私治す人、あなた治される人」という関係は作っていません。
あなたが抱える病気に対して「疾患」と「病」の両方から探り、人間全体として理解をして、共通の理解基盤をもち、予防と健康増進を取り入れ、関係を強化することで患者中心の医療を実践しています。
鍼灸業界を見渡すと根本治療を謳っているにも関わらず対症療法に偏ってしまっている鍼灸院がほとんどです。
その背景には顧客の要望に合わせてビジネスをデザインしていることもありますが、顧客を抜きにおこなえばエゴになってしまうことも知っているからだと思います。
ただし鍼灸を対症療法として用いたり、患者を診ずにエビデンス中心になってしまうとしたら鍼灸の独自性や東洋医学の良さは失われてしまうと思うのです。
患者は鍼灸に対して即効性を求めますが鍼灸の効果は部分的な即効性ではなく、全身の自律神経活動を変化させて、血管の調節をしたり臓器の働きを良くすることです。 その結果、血圧が調節されたり、ホルモンバランスが整えられたり、免疫系が活性化されて全体的に効果を引き起こします。
以前、自身の解像度を上げるという記事で何かをやっつけようとして自然に手を出すと自然はものすごいシステムなために思わぬ悪影響が出るということを紹介しました。
この情報をもとにどちらを選択するかは個人の自由です。
東洋医学は「個の医学」といわれていて、心と体を一つのものにして捉え、その人の生活習慣、体内バランスの乱れを診て、食事・呼吸・運動・精神活動・環境・睡眠や休養・生活指導、そして治療をおこないます。
クリティカル・ビジネスの視点で考えた時に「病気になってから治療すれば良い」「家に薬が余っているからあげる」「とりあえずの葛根湯」は実際のところ自主性を失わせ、その先にあるものは医療資源の逼迫を生む悪循環です。
長くなりましたが、私は鍼灸を治療という手段ではなく、よりよく生きるための目的の1つとして活用して欲しいと思っています。
なぜなら鍼灸は人と人との触れ合いのなかでおこなわれることであり、悩みなどの相談をしたり、上記で書いたような食事・呼吸・運動・精神活動・環境・睡眠や休養・生活のアドバイスがおこなわれるからです。
この時代において東洋医学は必ず人々の人生を豊かにするものでしょう。
だから私は鍼灸院の在り方を狭義的な健康ではなく、Positive Emotion・Engagement・Relationship・Meaning and Purpose・Achievement/ Accomplishといった広義的な概念でWell-beingをもとにした鍼灸院をおこなおうと思っています。
いま考えていることとして今後は対症治療としての鍼灸院ではなく、Life supportとしての側面から身体と心と在り方に対する場所にシフトしていきます。
病気になることを怯えて怖がるネガティブな日常よりも、より豊かな人生をおくるためへのポジティブな価値観へのシフトです。
とはいっても、これらのこともまた社会の一部。
ただし、これまでの学びから気づいたことは「どう生きるか」です。
私が作ったアトリエは、ネガティブに波長を合わせる共依存の場ではなく、ポジティブな可能性を生む自立の場として存在します。
なぜなら、それが今の日本には必要だと思うから。