数字のない世界で生きる娘に見えるモノ
なす好きの母が、明太子好きの娘のことを綴った記録。
今日もご覧いただきありがとうございます。
算数障害を疑い、IQ検査(WISC-IV)を受けた結果、知覚推理の得点が低く、目で見て理解することと細部にこだわることが苦手とわかった娘。
この検査を受けるまで、何も感じることがなかったのかといえば、そうではない。
算数関連に絞っていえば、
日付
時計
10桁までの足し算引き算
のように、数字にまつわるものは全般苦手だった・・・。
だけど、これが単なる苦手なのか、個人の性質なのかなんてことは、素人の私にはわからない。
小学校低学年で理解しているはずの時計や四則演算が、高学年になってもあやふやだという事実は、本人も苦しかっただろうし、正直いって私も苦しかった。
「難しい問題を解いてなんて言わないから、足し算引き算くらいはしっかりしてよ~」
いつしかこれが私の口癖となっていた。
だけどIQ検査(WISC-IV)を受け、娘の性質を知ってからは一度だって言ったことはない。
ここまで余裕ができるとは、私自身驚きだ。
ただこれは、諦めたのではない。
自分と子どもは別物で、性質が違うことが腑に落ちたのだ。
私にできて娘にできないこともあるが、娘にできて私にできないことだってたくさんある。
これまでは「個性」や「多様性」という言葉を、使い勝手がよく耳障りのいい言葉だと感じることもあったが、得意なことも苦手なことも全部含めて娘の個性。
ありのままの娘こそが、私の愛しい大切な存在なのだ。
日付の感覚がなくてもいい!
日付はわからなくても、生きていける。
我が家にある、英字で書かれたセリアのカレンダーの見方はいまいちわかっていないが、タブレットを開けばそこには答えがある。
タブレットは何度だって優しく教えてくれる。
「何回聞くの?」なんて怒ることは絶対にない。
時計を読み間違えたっていい!
集合時間が12時45分にもかかわらず、時計を読み間違えて11時45分に友達との待ち合わせ場所へ出かけて行ったことだってある。
長針が12に近づくと、短針を読み間違えやすいというのもよくわかる。
だけど、待ち合わせ場所に人が来ないという事実が間違いを知らせてくれる。間違いに気づけば、出直せばいい。
娘にとって、数字は必要だが不可欠なものではないのかもしれない。
算数や計算が理解できない部分があったとしても、人は生きていける。
娘は良くも悪くも、あまり物事を深く考えない性格だ。
自分の間違いに落ち込むこともないし、私の叱責を恨むこともない。
(「今までごめんね」と伝えると、笑顔で許してくれた、、)
至って穏やかで、自分にも人にも「許す」ことができるのだ。
ただ、学校の勉強はそうともいかず、勉強がわからないことから学校へ行くのがイヤになる日もある。
そんな時、何度かに一度は二人で気晴らしに出かける。
こういうことができるようになった私の価値観は、昔に比べるとずいぶん変わった。
娘は、自分の好きなモノを持っている。
絵を描く事、アニメ、漫画、音ゲーなど・・・
私の知らない世界に楽しさを見つけている。
娘は娘の世界を生きいている。
算数の基本とか一般的な常識に囚われていた私とは違う世界で、自分の長所を活かして生きている。
(TikTokである動画が1.5万再生を獲得していたのには家族でビックリ!)
それをひけらかすことも、見せびらかすこともない。
穏やかに、ただただ自分の好きなことをする時間が彼女の幸せなのだ。