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計算苦手な小6女子は算数障害?母が学校へ乗り込むまで

なす好きの母が、明太子好きの娘のことを綴った記録。
今日もご覧いただきありがとうございます。

人には得意なことがあれば、苦手なこともある。
そんな当たり前の話は、とっくのとうから知っている。

だけど、子どものこととなると、その当たり前は当たり前ではない。
これを親心というのかなんというのか、”苦手を克服してあげたい”という身勝手な使命に駆られ、我が子に完璧を求めてしまう。
それがいかに、我が子に苦しみを生み出しているかも気づかずに・・・


算数のテストが25点に落ちるまで


娘は低学年の頃から算数が苦手、というか、正確には計算が苦手でした。

しかし、好奇心旺盛な気質から、新たな四則計算が出るたび興味を示し、「今日はこれを習ったよ~」と意気揚々と話してくれたものだ。

九九なんかは、覚えた人から校長先生に披露するというルールがあったため、クラスで2~3番には覚えていた記憶もある。
(負けん気は強く、ゲーム感覚も好き)

だが、学習内容が複雑になり、自身の計算能力と理解力が追いつかないようになり始めてからというもの、3年生、4年生・・・と徐々にヤル気は失われていった。

致命的だと感じたのは5年生。
5年生は学習内容が難しいうえ学ぶ内容も多く、一人ひとりの理解力に合わせた授業の進行は難しいと担任からも聞かされていた。

だが、苦手といっても70点近くあったテストの点数は、あれよあれよと25点、、、

その結果に、本人は「全くわからなかったけど25点も取れていた!」って言うもんだから、

「ポジティブかっ!!」
と言えるほどの余裕はなく、、、

「もう少しショック受けてよ~~(T_T)」
と私の方が泣きそうになった。

母の努力は裏目に出る


というのも、私は自分でいうのもあれだけど、真面目で几帳面。
とくに子どものことには手を抜かず、自分にできることは全力でやりたいタイプ。(この性格が仇になることはあとから知る)

小3の時は、どうすれば娘の計算ができるようになるか色々な方法を探した結果、簡単な計算問題20問(足し算・引き算)を手作りし、毎日同じ問題を解くという学習方法を取り入れた。

タイムを計ったり、弟も参戦したり、楽しめるように試行錯誤していたが、結局1つ下の弟に惨敗するようになりヤル気をなくす、、、

また、地域的な問題と金銭面の問題から塾には通わず、”私が責任をもって宿題をみる”と決め、4年生まで付きっきりで宿題をみた。

だけどおわかりの通り、感情がはいり込んでしまうため、宿題時間は修羅場の時間・・・w
怒るつもりはないんだけど、何度も同じ問題で間違えたり、足し算や九九で間違えたりが重なることから、結局ボカーン・・・(家の中はdeath状態)

これでは親子関係がまずくなる

そう悟った私は、5年生から宿題をみることを辞めた。

娘にとっても、修羅場時間はもう勘弁!
私からの解放は願ったり叶ったりに違いない。

懇談ではそのような話も伝え、学校の授業のみにお任せした結果、学年末のまとめテストで25点となりました。(チーーーン)

※基本的に子どものことは私が担当なので、夫はdeath状態の中息を潜めて暮らしていたw(夫も算数苦手)

算数のテストだけが異常に悪い理由


いやぁ~、さすがに悩みました。
だって、25点て高校ならまだわかる。(わかるんかい)
でも小学生ですよ。
この先まだまだ長いのに、中学生活どうなるの?
高校進学できるのか・・・

実のところ、この時点では国語や理科、社会は80点以上取れていました。
なのに、算数だけは極めて低い。

もちろん、私の宿題への向き合い方が悪かったこともある。
算数への苦手意識を倍増させた。
これに関して、否定はできない。
だけど、この極端な結果にはほかにも原因があるのでは?と調べていくうちにみえてきたのが算数障害・・・

算数障害を含めた学習障害の疑いがある場合、「発達障がい者総合支援センター」で相談にのってくれることがわかった。(必要に応じてIQ検査も)

私はすぐにでも相談を依頼しようと思いましたが、まずは学校に相談しようという夫の提案で、学校へ行くことにしました。

学校に乗り込む!算数障害という疑惑


実は、担任と娘の相性が良くなく、学校が楽しめないという問題もあるため、話し合いには担任と教頭先生に立ち会っていただけるようお願いしました。

そして、返却されたテストを見た感想と今後の動きについて話したところ、
「ご本人のためにも、一度IQ検査を受けることはいいと思います。
IQ検査ではお子さんの得意な分野と苦手な分野がわかるので、今後の生活や学習に役立つかもしれません。」
と教頭先生。

担任は、算数障害など頭にもなかった素振りでしたが、何でも協力しますとおっしゃってくださいました。(このあと持ち上がりで6年も担任)

これが
小学5年生、修了式翌日の話。
ここから3か月後、まさかADHD注意欠如とわかるなんて、私は夢にも思っていませんでした。






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なすメンタ
いつも私の拙い文章を読んでいただきありがとうございます。 娘を温かく見守ってくださっていることにも感謝いたします(*´∀`*)♡