ケインズのアイデアに係る余談

ケインズの蓋然性哲学から始まって、彼の世論への訴えやアイデアがどのように今の現代社会に適応可能かという論文を中央大学の経済研究所年報に投稿した。暫くしてネット掲載になると思う。執筆したのは昨年で、いま見返してみるといくつか反省点があるが。
論題は、ケインズ的思考の現代的意義。
彼の哲学の師匠であるムーアや、ラッセル、友人のウィトゲンシュタインやラムジーが哲学に足跡を残した中でケインズの1921年の蓋然性哲学は、ケインズ研究家のみならず哲学の世界でもいまだ空白地帯である。ドイツで哲学辞典を読んだことがあるが、1921年はすっかり抜けていた。おそらく彼が一番言いたかったのは、数字とかで分析できないことが現実や人間社会には沢山あるんじゃね?ということだと思う。まぁ、数値化できることや過去の経験に我々の現在の仕事は依存している訳だが。
それよりもメジャーな彼の経済学の一般理論は、出版された瞬間にアメリカのハーバード大や全世界の経済学の授業でも扱われるようになり、日本国内でも当時の戦時下においてキャリア官僚が一般理論の研究を行なっていたりしていていわゆるケインズ革命が起こされた。彼の作り出したマクロ経済学については、彼に同意するものであろうと反するものであろうと現在の経済学者たちは彼の手のひらの上で踊っているに過ぎない。もっと凄いのはアダム・スミスで。ケインズ自体は経済学の政策論しか扱っていないが、スミスは政治経済学の体系を作り出しているから、ケインズの政策論はその一部門に過ぎない。
面白いのは、当時の日本のある学者が、外交官僚であった吉田茂を通じてケインズと直接対話したエピソードである。ケインズは、中国への侵攻はやめたほうがいいよね、とか雑談したらしい(経済学の法則を求めて、という書物だったかな)
当研究者は、あなたの新理論は確かに面白いが、価値論や労働の分析においてマルクスに及ばないと述べたらしい。ケインズはその場で、確かにそうかもね。と述べたらしいが、後日マルクスの資本論を読んで、なんだわからん。と投げたらしい。彼は全くドイツ語が読めなかったのである。

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