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生活保護を受給して、どん底から人間らしい生活ができるようになったお話

生活保護について説明するサイトは幾多とあります。
しかし、生活保護を利用した体験について語られることはあまり多くないように思えます。
そこで今回は、私が生活保護を利用していた頃の生活について記します。

↑大まかなストーリーについては上の記事を読んでいただければと。今回は、より具体的に、役に立った制度や活用の仕方を書いていきたいと思います。


生活保護受給を決めたタイミング

生活保護受給前の私は、無職で一人暮らし、通院と精神障害者の生活訓練施設に通所しながら、療養生活を送っていました。

障害のある人が自立した生活を送ることができるように、日常生活で必要となるさまざまな能力の維持や向上のための訓練などをおこないます。障害のある人への支援「障害福祉サービス」のひとつです。

私の場合、①相談支援②役所等窓口への同行③プログラム受講④カウンセリング等の支援を受けていました(生活訓練施設については別途また書きますが、臨床心理士常勤の施設は珍しいと思います)。

利用料については①前年度非課税、または生活保護受給中は無料②前年度非課税でない場合は上限1万円弱/月となっています。自分は前年度、ギリギリ非課税だったため、躊躇なく利用を開始できました。

ただ、当時は収入が全くなかったため、貯金を崩しながらの生活で、先行きに不安がありました。


施設長(精神保健福祉士)にそのことを相談すると、幾つか選択肢を提示された上で、生活保護の受給を勧められました。

その時の私は(自分なんかが生活保護を受ける資格あるの!?)と驚くくらい無知でした。

ただ、自分の生活状況と生活保護の受給基準を丁寧に説明されて受給する決断ができました。

① 世帯収入が「最低生活費」より少ない② 資産などを活用しても生活できない③ 働けない、働く場がない④ 年金など、ほかの制度を使っても「最低生活費」に満たない

メンタルやばい時って、どうしても「自分は働けるから当てはまらない」と思っちゃうんですよね。

でも、就職してはすぐ辞めるを繰り返すのは、とてもじゃないけど働ける状況ではないんだなと。少なくとも当時の私は、1日動いたら1週間寝込んでたので働けるわけないなあと。生活再建が最優先事項だなあと。

でもこれは、支援者の粘り強い事実陳列が無ければ気づかなかったことで、思い込みって本当に怖いなあと。

で、方針としては、生活保護の受給をまず決めてから、障害基礎年金の申請をゆっくり確実に行うこと。それまでに自分の人生の精算や、過剰なまでの自己否定傾向を和らげることを第一に目指す方向で合意しました。


生活保護受給に向けての準備

これが結構めんどくさかったです。支援者にやることを整理してもらって実行するだけでもめっちゃ大変でした……。参考までに自分がやったことを羅列していきます。


・自分名義の預金口座の状況を、記帳してから全てまとめる。

・両親と弟に「扶養照会」が行くけど扶養できないと答えてもらう。

これが1番しんどかったです。何故なら親に連絡することを考えると恐怖で震えが止まらなかったから。なので、メールは自分で送るけど、メール受信しても自分では見ずに支援者にまず見てもらい、内容的にダメージを受けるか受けないかを確認しました。それからメールを見るようにしたので、何とかなりました。

因みに扶養照会ですが、今は形式的に行ってる感じらしいです。なので難しいこと考えず、「扶養照会のハガキや連絡来ても『NO』と言っといて」と言うだけでオッケーです。

真面目にあれこれ考えるのはエネルギーの無駄なんだなあと学びました。

自分のケースでめんどかったのは「自分名義だけど親が管理してる口座」があったことですね。そこは親に全て引き出してもらいました。ただ、自分が親と連絡するのが恐怖でしか無かったので、その代償はかなりのものでした(体調面で)。


・預金状況から、残りの全財産と毎月の生活費と家賃を計算し、生活保護を申請するタイミングを決める。

ここが1番のポイントでしたね。

生活保護費が支給されるのは月初。当時のアパートは月末に翌月分の家賃管理費の支払いを行う(理由話せば柔軟に対応してくれたけど)。

なので、早めに家賃管理費を支払った上で、月初の支給に間に合うように全預金を5万円以下に調節することが必要でした。

ここ、申請のタイミング間違えるとやばいっすからね。割と生保の稟議回るの、事前に根回ししとけば早いんですよね(稟議作る時間的余裕がケースワーカー側に生まれる)。でも支給希望日の2週間前に申請しないと厳しいかなあと。

この辺は難しいので支援者に相談しながら提案を受け、合意形成しながら話を進めていきました。


・現在の生活状況を記したペライチの作成

働けないことの証明ですね。まあ、1日動くと1週間動けないという明確な症状があったので話が早かったです。やはり、定量的な事実があると話が早い&支援者もそれを十分に理解してるから、役所のケースワーカーも理解が早い。

あとは食事の状況や入浴の頻度、他者とのコミュニケーションが病状により壊滅的など書きました。コミュニケーションについては、ケースワーカーのやり取りで場面緘黙が頻発して支援者がフォローしたり、話が噛み合わず支援者の通訳が頻繁に必要になったりしたので、相手には伝わりやすかったです。

当時の資料がGoogleドライブにあるのですが、ボカシとか入れなきゃ上げられないので今回はスルー。希望があれば載せます。

この辺結構大変なんですよね。ただ、障害福祉サービスを受給するにあたり、支援者から詳細な聞き取りがあったのでそれを活かしました。

使えるものはとことん利用しよう。


・ケースワーカーが部屋の状況を見に来る

これも結構しんどいイベントでしたが、ケースワーカーに支援者も同行してもらうことで負担を減らして貰えました。

よくある誤解ですが、今はPCなきゃ今後の就労に向けて大きな支障があるのでPC売る必要はないです。

PS4(当時は最新)については、「そんなに価値がない」とのこと。嬉しいやら悲しいやら。


印象的だったのはそこら辺ですかね。また何か思い出したら追記します。


申請から生活保護受給まで

そんなこんなで役所の担当者から「申請は通るので、それまで何とか凌いでください」的なことは言われました。

まあ当時の食生活は壊滅的だったので、ほとんどお金使わなくて平気でしたが。あと、通所施設がフードバンクと提携していたので、色々食材貰えて助かりました。

特にパスタがかなり余ってたので結構もらいましたねー。パスタ茹でてマヨとケチャップで食べるなんてほぼ毎日でしたし。

1日動くと1週間寝込む状況だったので、お金に関しては手持ち5万以下で半月生活でも何とかなりました。家賃早めに振り込んだし、光熱費もそんなかからなかったし、格安スマホだったし(多分)。


生活保護受給決定から初めての支給

すんなりと受給決定通知が届き、保護費の受け取り日時の連絡が来ました。

保護費の受け取りは、細かく決められてましたが、その理由は役所の窓口に行くとよく分かりました。

なんてたって、めちゃくちゃ窓口混んでるんですよね。保護費の受け取りのために。印象としては高齢者の方が多かったですねー。なんか悲しくなりました。ただ今思うと、高齢者になって保護費もらいながら生活して行けるなら、それでいいのかなあと。最低限の生活は守られるので。

初回の受け取りは窓口に行く必要がありましたが、その場で口座振込を勧められ、様式に記入を行いました。翌月からは窓口に行かなくて済むのでこれは負担的にかなり楽になりました。


とりあえずここで一息つけましたねー。

ただ、1つ問題が。生活扶助費(家賃以外の生活費の支給みたいなもの。管理費等含む)の支給ってそんなに多くないんですけど、初月3万以上も余ったんですよね。

生活保護って「健康的で文化的な最低限度の生活」を保証するための制度。それでそんなに余るなら、自分で自分を不健康にしてるなあと衝撃を受けました。

当時の食生活って冷奴にカットサラダとご飯みたいな感じで、これでは元気でないなと。そりゃ寝たきりになりますわ。

なので翌月からはスーパーのお惣菜で割引のお肉買うようにしました。少しはエネルギー出るようになりましたね。それでもまだ余るのですが。

そこで着目したのが「文化的な生活」。基本寝たきりだったので文化的な生活まともにしてないなあと。

生活保護受給するまではお金を使うことに抵抗感があったんです。でも、お金がかなり余って病状が回復しないとなると、「文化的な生活」を送ってないからかもしれないと少しずつ思うようになりました。

具体的にはカットandシャンプーで2,500円(当時)の美容室にたまに通ったり、UNIQLOやGU、BOOK・OFFで服を買うようになったり、漫画を集めたりするようになりました。

まあそのお陰で、ただでさえゴチャゴチャな部屋がさらにカオスになるのですが(後述)。

ただ、身だしなみが整うと外に出ようという気持ちが湧いてきますし、それに応じた振る舞いをしようと思うようになりましたね。あとは趣味があると生活の色が変わりました。

それまでは、「お金使うのダメ絶対主義」でしたが、「健康的で文化的な最低限度の生活」を意識することで、少しづつ人生を楽しめるようになりました。


あと、大きかったのは医療券。

自分は小さい頃から腹痛に悩み、特に冬場は必ずお腹壊してました。ただ、生活保護受給するまではお金が勿体なく、病院に通えませんでした。

しかし、医療券を使い無料で保険適用の診察を受けることができ、結果的にあれだけ悩んだ腹痛が、今では嘘のように収まっまています。

内視鏡入れてピロリ菌があることが分かり、その除去をできました。

血液検査の結果と経過観察から、尿酸値が薬で抑えるしかないことが分かりました。

かかりつけ医ができたことで、食事指導や日々の生活で気をつけなければいけないことを教えてもらえました。

酷い胃炎が長期間の服薬のおかげでほぼ消えました。

他にも医療券を使う場面がありましたが、本当に助かりました。逆に言うと、貧困と病気の連鎖に巻き込まれると、なかなか抜け出せなくなることもよくわかりました。

あとは度があってないメガネを作り直しました。

メガネは1度だけ補助が出ます。度が合うメガネに変えて、頭痛なんかも治まりました。


また、生活保護を受給したことで、障害年金の申請にかなりゆとりを持って挑めたのは大きかったです。あれ、めちゃくちゃ大変ですからね……。社労士さんが食い扶持にしてるくらいですし。

ただ、支援者と相談しながら作り上げていく過程で、色々整理出来たのはよかったです(これについても別記事で言及きたいと思います)。

障害年金、申請までも大変ですけど、支給決定までにも物凄く時間がかかるんですよね。

冒頭で支援者から示された選択肢のひとつに障害年金の申請が実はありました。しかし、それだとお金が尽きる方が早いので、体調も鑑みて生活保護を受給してからの申請になりました。

かなりエネルギー持ってかれたので、この判断は良かったなあと思っています。


障害年金支給決定から1度目の生活保護廃止、そして2回目の生活保護申請

障害年金って5年間は訴求請求できるんですよね。自分の場合、初診日から4年以上経っていたので、300万くらい振り込まれました。

一度に大量の収入があると、収入申告をした後生活保護が廃止になります。

同時に、保護費の返還を行う必要があります。

事務的なところは役所がやってくれるので困らないのですが、手に入った300万のうち保護費の返還で230万くらい持っていかれたのでなんとも言えない気分に……。ただ、それだけ1人の生活を支えるためには費用がかかるんだなぁと感じました。また、保護費を返還できたことで、生活保護をもらってた後ろめたさが薄らぎました。

ただ、年金の振込は2ヶ月に1度で、自分の場合2ヶ月で13万円ほどなので、家賃と光熱費払って消えます。だからケースワーカーさんも「手持ちがなくなったらまた申請に来てください」と伝えてくれました。


生活保護が廃止になっても、それまでの生活を変えることはしませんでした。そうしなければ健康になれないので。

そして手持ちが少なくなると、また申請に向けてお金のやりくりや支援者ケースワーカーとの打ち合わせ、資料作成に勤しみました。

役所も事情は把握しているので、すんなり2回目の申請も通りました。


年金などの収入がある場合、保護費ってどうなるの?という質問はよくあります。

結論から言うと、1万5千円までは年金だろうと労働収入だろうと収入として認められます。そこからはみ出した分については、生活扶助費と相殺されます。

月々の収入が1万5千円増えると全然違いますし、扶助費の支給が少なくなるとなんか嬉しくなります。

それに年金は2ヶ月一括で支払われるので、やりくりさえ上手くやれば、月初まで待たなければいけない扶助費より使い勝手が良いです。


2回目の生活保護受給前後から、社会生活への復帰を目指し動き出していました(この辺も別記事で書きたいと思います。ネタが多すぎて困る)。

まずはボランティア、それから通ってた通所施設を運営してるNPOの非常勤職員、障害教育啓発活動のための研修の受講と実践、ワークショップへの参加などなど。

今も変わりませんが、当時は特に、自分の経験を活用して同じように苦しんでる人達と対等な立場で関わっていきたいと思っていました。

その活動の積み重ねは、様々な人との縁を生み、得がたい貴重な経験をすることができました。思うように勉強することができなかった学生時代を取り戻すかのように勉強に励むことができるようになりました。半ばフリーランスのような形で働くこともあり、色んな働き方がある事を知りました。1番大きかったのは、色んな人との出会いを重ねる中で、どんな状況でも自分らしく生きていけることを身をもって知ることができました。


なぜ正規の公務員を目指したのか

生活保護を受けながら、学び、当事者活動に励み、フリーランスとして収入を得る生活をするにつれて、フリーランスで生計を立てられるようになりたいという思いが芽生えてきました。

しかし同時に、当時28歳の自分の中で、今しかできないことをやりたいという思いも芽生えました。

更に、フリーランスとして活動していく中で、大きな組織で働いた経験がない事で、綺麗事ばかり言って説得力のなさを痛感し始めました。

また非常勤で勤めていたNPOを辞めたことも影響していました。支援者の時はとても頼りにしていた人が、上司になると全く違う顔を見せることを知り、仕事と支援を受けることを分ける必要があるのでは無いかと考えるようになりました。


そんな時にボランティアを通じて知り合った友人から「障害者雇用で国で働いている知人の話を聞いてみない?」と持ち掛けられました。

一度公務員を辞めた私は、「二度と公務員なんかやるもんか」と思っていましたが、当事者活動をする中で、行政のことを知らなさすぎるという思いもあったので、話を聞くことになりました。

話を聞いてる中で、今しか大きな組織で新人として働く経験ができないこと、行政で働いた上で退職後でもフリーランスやピアサポートでの仕事をやることは可能だと感じたこと、大きな組織で働くことでネタを得たいこと、これまで培ってきたセルフケアを働きながら試し更に伸ばしていきたいこと、あわよくば自分が入ることで職場にいい影響を与えられれば嬉しいと思ったこと。

それらの思いから、1度だけ採用試験を受けてみることにしました。

国の採用は終わってる時期でしたので、その他の自治体等から、募集をしているところを探しました。時期が遅かったので軒並み受付終了していましたが、自分の希望似合うところの締切がギリギリまだ間に合うタイミングでしたので応募し、付け焼き刃の勉強で何とか足切りを回避し、得意のグループ討議でポイントを稼ぎ、面接を何とか乗り切り採用通知が届きました。


そして生活保護の廃止へ

4月採用で初任給も4月だったため、就労前にケースワーカーと相談し、4月の給与が入った時点で収入報告を行い、その日付で生活保護の廃止を行う運びとなりました。

また、就職にあたり、被服費を申請しスーツ1式を揃えました(はみ出しちゃって自腹多少切ったけど)。

定期券も減免措置で購入することができました。

生活保護を抜ける際、就職祝い金的なものを僅かながらでもいただくことができ、モチベーションの向上に繋がりました。

いざ生活保護廃止となると、少し怖さもありましたが、様々な制約が払われ身軽さも感じました。

また、正規雇用で就職したことで喜んでくれる人が周りに大勢いて、恩返しできたのかなと思う反面、フリーランスが評価されてないように思えて、少しもやっとしました。


今の職場では悪戦苦闘していますが、今後のネタとして使えるものが多いので、その意味では良かったなあと思っています。またスキルアップや得がたい経験をすることができ、人生の視野が広がりました。

現在の職場では、健常者に混ざり働いていて、障害者だからといって容赦はありません。申し出た合理的配慮は調整の上取り入れてくれますが。ただ、働く中で自分の向き不向きを知れて、「これはできるがこれはできないからこうして欲しい」と上手く伝える必要に迫られていることを感じています。

また一流大学や院を卒業して社会人経験を積んだ同期がいたり、新卒からずっとと公務員、もしくは民間経由で公務員になった人達がいて、価値観や常識の違いに戸惑いました。当事者会やピアサポート、フリーランスの場での当たり前が、今の職場では非常識になることに戸惑いました。

そんなことも含めて、いい経験をさせてもらってるなあと思います。が、いつまで働けることやら……。今の組織で自分が普通に働こうと思うとどれほど困難かよくよく分かったので、頑張りすぎないことを頑張りたいと思います。


今苦しんでいる人たちへ伝えたいこと

生活保護は人間性を取り戻すことに役立ちます。

生活保護を受けることで、様々な経験をすることができます。

ずっと苦しんでいた謎の体調不良が、病院にかかることで簡単に収まることもあります。

役所とのやり取りは大変ですが、理解ある支援者をつけて出向けば、支援者に基本任せてポイントポイントだけ喋るだけで済みます。

様々な事情で実家から出たい人も、グループホームなどと生活保護を組み合わせれば、落ち着いて療養に専念することができるようになります。

とにかく、素人頭で考えも埒が明かないので支援者を見つけること。信頼出来る支援者に窮状を訴えること。分からないことは支援者に聞くこと。

それだけで人生は変わります。

大事なのは、自分で自分の人生を諦めないこと。

生活保護を受け、人生を立て直す時間を稼ぎ、療養をしっかり行い、スキルを身につけ、スモールステップを積み重ねながら進んでいくと思わぬ道が拓けます。

私もまさかまた正規の公務員をやるとは思っていませんでしたが、今の職場が今までで1番いいなと思っています。それは、生活保護の期間にじっくり自分と向き合い人生を立て直せたからだと思っています。

自分だけの力で生きていける人なんて、この世にひと握りしかいません。

必要な援助を求め、受けられる人がのらりくらりと生きていける世界です。

苦しいならまずは助けを求めましょう。

酷い対応される時もあります。

ですが、そんな所ばかりではありません。

多くは味方してくれます。

少しでも多くの人が支援に結びつき、自分の人生を取り戻すことを、私は強く祈っています。