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リカバリー:人生を変えた価値観

大学生の時に精神科の医師からうつ病と診断され、1度寛解するも大学在学中、また社会人になってからも何度も動けなくなる期間があり、苦しい思いをしてきました。

そんなときであった言葉が「リカバリー」です。

リカバリーとは、個人の態度や価値(本人にとって大切なこと)、感情、目標、技術や役割が変化していく過程のことで、これはとても個人的で、人によって異なる過程である。精神の病気に制限があったとしても、何かに貢献し、希望にあふれ、満たされた生活を送る生き方である。リカバリーには、精神疾患による壊滅的な影響を乗り越え成長する中で人生についての新たな意味や目標が見いだされていくことが含まれている。
(「本人のリカバリーの100の支え方」より)

長々と書いてありますが、病気が治ることを目的にするのではなく、病気があっても人として希望に満ちた生き方をしていくことを「リカバリー」と言います。


私は小学校入学の時から学校に馴染めませんでした。基本的には優等生だったのでまだイージーでしたが、感情が制御できない、思ったことをそのまま口に出してしまう等の特性があり、周りと衝突してばかりでした。一方で、頭痛や腹痛が絶えず、辛い、休みたいと助けを求めましたが、両親や先生、友人からは相手にされず「気のせい」「甘えている」「サボりたいだけ」と言われる仕打ちでした。

そうした環境から、自分のことは誰も理解してくれない。自分で全て解決するしかない。と思うようになりました。


中学校に入ると、より周囲との関係が悪化し、自分自身のコントロールがどんどん利かなくなっていきました。自分が自分から解離して、自分の言動が自分のものでないようにしか感じられなくなりました。

どこかに助けを求めたかったのですが、誰もどうせ聞いてくれない。病院に行こうと思っても、いい精神科は車で30分+電車で1時間。そんなお金はない。そもそも精神疾患あるだけで頭おかしいされる寒村。

自分には選択肢なんかありませんでした。


なんとか死なずに済んだ私は廃人と化していました。ある時、カウンセラーの体験記を読んだ私は、ある悲壮な決意をしました。

それは、自分で自分をカウンセリングして行って、走れるところまで突っ走って、そこで倒れて死のう。そうしたら悔いなく死ねる。自分の性格の悪さも体調の悪さも、中途半端に休んでるから治らないんだ。生きるか死ぬかかけて頑張って頑張って、そしたらどうにかなる。

そう思って、残りの中学生活と高校、大学生活を送りました。性格を治すことが私の人生の全てでした。人に優しくしなければならない。皆から愛されなければならない。いつも笑顔でいなければならない。みんなから尊敬されなければならない。体調不良は気のせい。頑張ってれば気にならなくなる。


そして大学在学中に動けなくなりました。医師から「今やってる事全部やめて休みなさい」と言われた時は、とても安堵しました。これでやっと休める。休んでいいんだ。休んでいいとお墨付きが出たんだ。


自分の人生はそういう人生でした。常に自分で自分を罰していました。いじめていました。寛解後もそれは続きました。そうした時に「リカバリー」という言葉に出会いました。


自分の人生の主導権は自分で握る。

病気に支配されるんじゃなく、自分が生きてて楽しい人生を生きていく。

周りの望む自分じゃなくて、いい感じの自分で過ごしていく。


今までそうした言葉は「弱い人たちの言い訳」と思ってきました。

しかし、通所していた生活訓練施設で出会う人達と話す中で、色んな生き方があることを身をもって学びました。

そうした出会いを経て、自分がぼちぼちやって行ける人生ってなんなんだろうと、考えるようになれました。

この時初めて、自分のための人生を送ろうとすることができたのだと思います。


「リカバリー」という言葉に出会えてよかった。心からそう思います。


もちろん、これだけで人生が好転した訳ではありません。その話はまた後日に。