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実力も運のうち 能力主義は正義か?
マイケル・サンデル教授の新書を読みました。最近、日本でも議論になっている「資本主義の限界」「格差問題」などに関連する話で、特に米国における状況を分析しています。
彼の主張は、社会的地位は努力と才能の繁栄であるとする能力主義を強調しすぎると、人々の成功、不成功は、彼らの運、不運を忘れてしまい、彼ら自身の手柄か怠慢によるものだと断定してしまいがちであるということです。
能力主義は、誰でも努力、創造性、才能があれば報われるので、そこには差別がなく、自由もあるという意味で魅力的に映る。そして、成功者ほどそれを信じる傾向にあります。
しかし、例えばバスケットボールで大成功を収めた選手は、今の世の中がバスケットを高く評価していることに幸運を感じることは少ない。
そして、成功していないものは、昔でいう貧しい家庭に生まれたからだという言い訳ができなく、昔以上に自虐的にならざるおえない。
しかし、実際には、特に米国では、裕福な家庭の子息がエリート大学へ入る確率が高く、その卒業生は能力主義社会で勝者となる確率が高い。
ということです。
最近の米国での、白人の労働階級の怒りは、白人という特権階級にいるにも関わらず貧しいということであるとのべています。そして、世の中的には、黒人、女性、移民、難民にサポートが与えられ、彼らの方が勝者になってきていることもその怒りを助長しています。
そして、そのような状況下に現れたのが、トランプで、「アメリカはおかしい。もう一度、アメリカを偉大な国にしなければならない」という主張は、この労働者階級の白人に響いたのだそうです。
この傾向は、特にアメリカでは顕著なのでしょう。なので、テレビで放映されるように、あれだけ、白人が怒っているのでしょうね。
「アメリカン・ドリーム」が行き過ぎているということなのでしょう。
ヨーロッパには「ノーブレスオブリージュ」という倫理観があります。それは、「財産、権力、社会的地位を持つものは社会的義務が伴う」というものです。「財産、権力、社会的地位」というものは、自分自身の能力ではなく、社会から与えられたものであるから、自己犠牲をしてでも果たすべき社会的義務があるという考え。西欧の「寄付文化」もここからきています。
この考え方はスキです。