語り手のキャラ

ああ、文章や作文について考えている人が、ここ、noteには、こんなに沢山いるなんて。最高じゃん、ここ。俺、水を得た魚状態だよ。文体という物に、自分が納得のいく語り手の態度に、10年近くこぎつける事のできなかった、苦悩の主人公、文学的エリートである俺にとって。

俺のキャラちょっと硬いな。もうちょっとコミカルにしようかな?もうちょっとアホにするというか。いや、今も十分アホですよ?ただ、ちょっと古臭いというか。純文学要素が残っていますね。

このnoteって場は、まともにエッセイを書いてる人が凄く多くて、つまり、教科書的な語りの、「そういう古臭い」雰囲気の文章が主体になっているところがあり、そこがかなり気に入っている。こういうの待ってたんですよ。まぁ、記事的な物も半分くらいはあるんですけど。

それでいて俺は、オリジナリティとか言って、教科書的な語りや人物像に反抗する作風で文章を書くから、読んだ人から「はぁ?なんだこいつ」と思われ、俺が実は保守的な内容も好きなんだという事があまり伝わらない。

創作は、キャラ、ないしは雰囲気の類型でジャンルが形成されるところがある。Youtuberとかも、先行する大物を参考にしすぎて、アホ(良い意味で)な企画やくだらない企画をやる場なのだと思い込みすぎ、その雰囲気に当てはまる人ばかりが参入する。俳優とかがYoutuberになる時も、もっと自分の持ち味を活かせばいいものを、Youtuberらしい類型に当てはまる企画を行い、Youtuberっぽく改めて振る舞い、わざわざ自分の個性を無くしていくのが、残念に思える。それとも、違う方向性の物はすぐには売れず、浮上していないだけなのか。そうなのかもしれない...。

俺は、文章を書くような人、文章が好きそうな人、そういった人が好きなのだが、同時に、そういった人やそういう感覚に反抗したい気持ちがある。そういった人が好みそうな題材や雰囲気、それらを凡庸と鼻で笑っていたいんだ。俺は、「これまでの文章の読者」に読まれる物を書きはすまい。扱われる題材や語り手のキャラクターで、俺はオリジナリティを形成したい。「あるある」は俺にとって、最も醜い失敗である。

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