雑談王

雑談したい。

文章を書くことの本質を哲学的に見抜きたい。

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今、雑談レベルで文章を書いている。「文章を書くことの本質」って今言ったけど、本質って言葉のこの使い方、かなり適当だよね。

本質もなにもあるのか? なんか適当にそれっぽい言葉を持ってきただけのように見えるし、実際そうだ。「文章を書くことの本質」なんて、俺は普通、書きたくない。なにかを言ったことになっているとは思えなくて。

でも、そこを直して、ズバッと言い当てるような言葉や言い回しを探すのは、結構手間がかかる。はっきり言って、めんどくさい。「そこまでして書かなくて(伝えなくて)いいや」とほっぽってしまう。作文したいという初期衝動もなおざりになっているかもだし。

今こうして文章らしいものを一応書いてはいるが。

これは今、雑談めいて書いている。......云々。

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なんか、書きたいことがしぼんでしまった。

なんなんだコリャ?


思うに、読者が読んでいて道に迷わないような、筋道のしっかりとした文章を書くのがもうめんどくさくてできない。

そんなことして誰が得をするんだ?

あー、バカバカし。

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だから、独善的に書くことを辞さない方向性を敢えて開き直る手法(手法って言えんのかね?)を意識し始めたのだった。(また、散文詩という形式も取り始めた。)

だけど、はっきり言って、それは明らかな悪文なんだよ。自分で書いていて暖簾[のれん]に腕押しというか、これ伝わらないだろうなって感じがプンプンする。

独善的な文章。やめたほうがいいよな、基本的には。独善的でない文章を書ける力が、文章力なのかも。言われてみれば「そんなの当然」という気もする。

そんな風に考える気には、すぐにはならないが。

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哲学的に見抜くだとか俺は言った。

断片的な記述でよければ書く。もうまとまった文章とか書く気が起きない。


文章が知識に立脚していたり、多くの人に開かれた舗装された道であったりっていうのは、結構なことですよ。

でもさあ、それってさあ、文章のあり方としては保守的というか、「こうすれば内容があるだろう」という点に安住してるんですよ。挑戦してないというか。“誰かが書くであろう文章”というか。別にあなたが書かなくても。

ああ、内容が意味不明になってきてる。そんなことない?


まともな文章ほど嫌いなものはない。

でも、いいんだ、みんなは......。これを読んでくれてるみんなは、敢えて変な文章を書きに行くほど精神(考え方)がこんがらがっていないと思うし、僕のこんな言葉は気にするには及ばない。僕の言葉が駄言であると見抜けないのは問題だ。これは僕個人の問題なんだ。空の色が憎い。

だから詩は便利。

君のところの空をいつか落とす。
全部潰れてくれ。

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