🥼茶化さないで介護に向き合うスタンスを語るよ(なお現時点)
介護に際して、自分がどういう心構えか、ちょっと改めて文字に起こしておいた方が良さそうだと感じたので、記事を起こす。(写真は借りてきたからうちの親じゃ無いよ!)
こちらが固定記事。
本当に率直に歯に衣を着せずに言うのならば、私はnoteに、日々発生する近距離別居の老人(親)の事件簿を書いてガス抜きしようと思ってきたので、この記事は当時のことを思い出して、非常に生々しい気持ちになりはしたものの、それほど読まれはしないだろうと思っていた。
それが予想に反して、意外と伸びた。
なんでや?
他人の親の病気の記事と、他人の退職やで?
noteの人たち、最初見回した時には、アッパー系と言うか、啓蒙系と言うか、とにかく「ここから一旗あげてやろう。」みたいな人が多い印象だった。
そしてそれはおそらく間違っていない。
それが固定記事であると言うことを別としても、意外と読まれた理由を考えた時、やはり
・現代の日本で、親の介護は予想以上に暗数としても問題になっている。
・人ごとだと思っていた突然の「親の老化」を可視化された。
あたりが該当するのではないだろうかと思った。
何度も引いて申し訳ないが、Twitterではこちらの投稿に取り上げて頂き、
追記のこちらもまた引いていただいた。
そう思って、介護、というのは直接的にそばに付き添って、トイレの世話や食事の世話をして、徘徊しないように一挙一投足を見張ることだというイメージがあるかもしれないが、近距離別居の上で、「近くで見守る。」スタンスを選んだ、そのことについて述べていきたいと思う。
時々口調が崩れるけど気にせんでな!あとこの私の謎の口調は住んだ土地の言葉が部分混入するからやで!気にせんでな!んでもって、真面目な話だし若干辛気くさいかもしれんで!言ったぞ!
で、話を戻すけど、
介護離職で地元に戻ったとき、当面は賃貸を借りたが、勿論可能性として
二世帯住宅は検討した。めっちゃ検討した。
が、近距離別居で、身近に接するうちに、早めにその考えは捨てた。
理由はいくつもあるが、大きなものが二つ。
・両親と、私(と配偶者)の生活様式と時間が合わないこと。
・両親の実子(私)への依存が深まることが予見されたこと。
まず、二世帯住宅の様式(台所の個数、洗面所+風呂、トイレ等)の数についても全く意見が合わなかった。
業者の相談までしたが、うちの両親と、私の配偶者は基本赤の他人である。
両親は「家族だけ」の昭和の感覚で、脱衣所から廊下に半裸で平気で出てくるが、私の配偶者が、赤の他人の異性の老人の半裸を見たいはずもない。
「風呂場は二ついる、せめて洗面所とシャワーは別にいる。」と主張した私の言葉が、翌日には業者に「梨(仮名)が、トイレは二ついるって言うんですよ、贅沢ですよねえ。」と言っているのを聞いた時に、永遠の意見の不一致を見た。
そしてその時期、うちの母は不調で、寝たり起きたりしていたが、半ば老人性鬱病のようになっていて、ことあるごとに「いつまで生きられるとやろうか。」「あんた毎日来てご飯とか作ってくれんかね。」と言っていた。
それでは駄目だ、と、思った。
私は確かに親の死に目を取りにきたし、介護をする気もある。
だが、これはあくまでも私の考えだが、介護というのは、衰えゆく老人を、上げ膳据え膳で行動をコントロールすることではないのだ。
勿論、うちの親も本当に身動きならなくなる日は来るかもしれないし、トイレの介助が必要になって、プロの手を借りないといけなくなる日もくるかもしれないが、その時点で、要支援がついて、週一回来てくれていた介護ヘルパーさんを、自分たちの判断で断ってしまっていたような状態で、私に寄りかかることが最善とは思えない。
(誤解のないように言っておくが、私は、物理的、器質的に介護が必要になった人たちに無理に自分で動くべきと言っているわけではないし、それに携わる仕事についておられる方に関しては、本当に必要で重要な仕事だと思っている。うちの親のように、実は自分で動けるのに動かない人に関して、あれこれ手出しをし過ぎるのが良くないと思ったという話だ。)
二世帯住宅でほぼ同居になれば、夜討ち朝駆けで母親が訪れてきて私が疲弊するだろう。
仕事はやめたが、私は私と配偶者の人生を犠牲にする気は全くない。
私は、基本、一日一回夕方に様子を見に行くことに徹し、その他、除草や庭仕事、病院への運転手などなど、親の手に負えないことを手伝うことにした。
母の第一の家族は父だ。
私にとってはクズな父だが、母にとっては大事な夫だ。
母が具合が悪いなら父が食事を作ればいい。
実家は私が住んでいた頃より、幾らか掃除が行き届かないところはあるし、肩パッドが溜まっていたりはするが、よほどのことでない限り、慌てることはない。
二人とも病院の日付をさっぱり忘れたりするし、五分前のことを聞き返したりもするが、それでもえっちらおっちら、十年近くたった今でも、自分たちで食事を作り、自分たちの家で暮らし、介助なしにトイレに行けている。
手すりは必須になったが、自分の足で歩けることの重要性というのが、本当にある。
人は、自分で動かなくなった時に、恐ろしいほど早く衰える。
そのスピードは恐ろしいほどで、私は、多少…、いや、相当の抜けがあろうとも、出来るだけ親自身の生活は親自身で営んでもらいたい。
本当に、どうにもならなくなるその瞬間まで。
勿論、綺麗事だけで済むとは思っていない。
公園で立ち尽くしたり、そのほかにも事件があったり、すでに徘徊さえ始まっているのかもしれないが、それでも私は、自分は自分、親は親というスタンスで、できるだけ生活していきたい。
人は誰でも一人で生まれ、一人で死ぬ生き物だが、両親が何かを、記憶力や注意力をあちこちに溢して生きながらも、最後まで寄り添うべきはお互いであって、私ではない。
いつかその辺りの道や、庭や、実家に訪ねた夕方に、冷たい亡骸になっている可能性を把握した上で、
不十分で良いから、できれば親には最期まで自分たちで頑張ってもらいたいと思っている。
まあ駄目やったら担ぎ込むわ病院にな!
(終わり)
投げ銭歓迎。頂けたら、心と胃袋の肥やしにします。 具体的には酒肴、本と音楽🎷。 でもおそらく、まずは、心意気をほかの書き手さんにも分けるでしょう。 しかし、投げ銭もいいけれど、読んで気が向いたらスキを押しておいてほしい。