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小石を拾うように学んでいます

50歳の脳みそは、すこぶる記憶の定着が悪い。
先週、学んだ単語が今日はもう抜け落ちている。
覚えるより忘れる方が速くなってきてて恐ろしい。

それでも悪足掻きして、今日もテキストを開く。
読み込んで、理解して、記憶する。
その反復は、広大な砂漠を彷徨ってる気分になる。

学習は砂漠に転がる小石を拾い集めるのに似ている。
知識の海って言うけれど、私の場合は砂漠だ。
いつ行き倒れても不思議じゃない広い砂漠をヒーヒー言いながら彷徨って、ひとつ、また一つ、小石を拾って進む苦行。

それでも小石を見つけて拾い上げた瞬間は胸が高鳴る。
初めて見る色形にうっとりして、少し自由になったような、世界が広がったような高揚感に浸る。

しかし学べば学ぶほど分からないことは増える。
石を拾うと新たな疑問が浮かび上がる。
高揚感は一瞬にして焦燥感に変わり、また次の石を探すことになる。

そうこうするうちに、当初抱えていた他の疑問点からは遠ざかっている。
次はあれを調べようと、忘れないように旗を立てて進むのだけど、いつの間にかその旗が見えない所まで移動している。
手元の知りたいことと、置いてきたそれを引き比べ、どちらを先にしたものかと悩みあぐねる。

そうしている間にも記憶は薄れる。
両手に抱えた小石はもう腕一杯で、歩いている間にこぼれ落ちる。
大きな袋でもあれば良いのだが、それはつまり記憶力の良い脳みそなわけで、今の自分には到底手に入らないものなのだ。

そうやってウロウロしていると、不意に行き合った人に尋ねられる。
「あなた、〇〇○って石を持ってない?」
私は慌てて腕の中の石たちに目を走らせる。
「ええ、それ、確かさっき拾ったはず」

ドキドキしながら抱えた小石を砂地に下ろし、目的の〇〇○を探す。
色と形はハッキリ覚えている。どこで拾ったかも覚えている。

けれど、見当たらないのだ。
確かにさっき拾ったのに。
どこ行ったんだろう。
あの、きれいな緑色の石なのに。

焦って周囲を見回しても、その石は見つからない。
きっと歩いている途中で落としたのだ。
落胆しながら謝罪すると、相手は苦笑いして去って行く。

私はまた歩き始める。
果てしない砂漠の旅。
どこへ行き着くとも知れない旅。

それでも行き合った人に、石を渡せることがある。
上手くいくのは数回に一回。
高い確率ではないが、それでも拾わずに歩くよりはマシなのだ。
どうせ同じ時間を過ごすのなら、何もしないよりは良い。
落胆することがあっても誰かの役に立ったなら、ほんの一瞬の慰めになる。
だから私はこの小さな脳みそで、広い砂漠を今日も旅する。

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