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幸せの基準を知るために


こんにちは、ものぐさ姫です。

今回のお題「あの失敗があったから」。

失敗かぁ…


私の人生なんて失敗の上に成り立っているようなもんですからね。

子供の頃から鈍臭くて失敗の数では人に負けない自信があります。


そんな私でも50歳のこの歳まで生きてこられたので「人生はなんとかなるもんだ」という自信がつきました。

そう、今だから言えることなんですよね。


そう思えるようになったのは45歳くらいかな。

転職を繰り返し、運良く結婚し、過分な良縁だったにも関わらず自分から離婚。

その後、死に物狂いで自活の道を模索し、なんとか形になったのがその頃でした。

心を病まずに働き続ける方法を覚え、僅かばかりのお金を稼ぎ、その範囲内で生活をする。

それを全部、自分一人でできるようになった。

それが私にとって1番の幸せだったんですね。

高給取りの夫に養って貰ってた頃は、お金の心配はなかったけど、使うことができませんでした。

だって自分で稼いだものじゃないから。

誰に責められる訳でなくとも自分の気持ちの上で納得できなかったんです。

だから自分の稼ぎの中でやりくりできることは、とてつもない自由でした。

ずっと長いこと、なぜ自分はこんなに窮屈なんだろうと思ってました。

こんなに恵まれてるのに、なぜ多くの人みたいに明るくなれないのか。


気質の問題もあるんですけどね。

でも気分の明るさは満足感なんだと思います。

満足、満ち足りた気持ち。

朝、良い気分で目が覚めるか。

夜、寝る前に今日一日を無事に過ごせたと感謝できるか。

私にとってはそれが満足の基準です。


思えば長いこと、自分にとっての満足が分からなかった。

他の人がやってることをマネしたり、世間で良いと言われていることを試したり、随分と回り道をしてきました。

けれどその失敗があったから、最後には全部振り切って自分の思うように行動できた。

そうでなかったら離婚なんて決断はできなかったでしょう。


あれから十年経った今だから言えること。

エベレスト級の山ほどの失敗があったから、自分の幸せの基準が確立できた。

この先それが揺らがない保証はないけど、大枠のところは変わらないだろう。

この歳までにそれが手に入ったのは幸運で、この先どう転んでも自分の責任として人生を受け入れられそうな気がしています。


もちろん確証はないけどね。

それでも昔の自分に伝えられるなら、こう言ってやりたい。

「失敗はするものだから仕方ない。

いちいち胃が痛くなるまで思い返して後悔するな。

やっちゃったもんはしょうがない。

サクッと謝って対策考えたら、後は忘れろ。

頭の中にイヤな記憶が戻ってきたら他のこと考えろ。

楽しいことを考えろ。

それで次に行けば良い。

自分が楽しい方へ行け」


幸せの基準は人それぞれ。

それを知ることが人生を楽しむ早道かもしれません。

では皆様ごきげんよう。


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