産まなかったのは他人のせいにしないため
諸般の事情で私は子どもを持たなかった。
今では珍しくもないが、当時それは一般的ではなく多くの人から非難された。
私としてはまっとうな選択をしたつもりだったんだ。
機能不全家庭で育ち、社会適応能力が低く、もちろん収入も低かった。
そんな私がうまく子供を育てられるだろうか。
子供が私と同じように苦しい人生を強いられる可能性はないだろうか。
そう考えた時『大丈夫、なんとかなる』とは思えなかったのだ。
周囲の人は「産めば可愛い」とか「何とかなる」とか無責任なことを言ったけれど、彼らが何とかしてくれる保証もないので避妊を続けた。
その結果としての今。
私は一人で満足のいく暮らしをしている。
子供がいたらこうはできなかったろう。
離婚もできなかったし、もっとあくせく働かなければならなかった。
苦手な家事育児をこなしても、保育園や小学校で保護者同士の交流に巻き込まれる。これは想像するのもおぞましい。
今、周囲の同世代は大学生くらいの子持ちが多い。
彼らは朝から晩までつまらなそうに働いて、お金がないと言っている。
たまの休みは寝てばかりで、死ぬまで働く人生を悲観している。
そして子供達の将来をも悲観している。
彼らの多くは私と違い社会に適応した人たちだ。
親世代と同様に、就職して結婚して車を買い、子供を持って家を建てた。
そしてリーマンショックやコロナに翻弄された。
私だって安泰な身分じゃない。
それでもローンや家族の心配から解放されているだけ気楽な人生だ。
心配性な自分にはそれが合っている。
あんな重圧には耐えられない。
これが自分で選んだ結果なのだ。
周囲に流されず自分の頭で考えて選んだ結果。
迷いに迷ったけど自分の考えを貫いて良かったと今は思える。
そうでなかったら今頃きっと社会や周囲を責めていた。
誰のせいにもできない自分の人生だから、自分で選ぶしか納得する方法なんてない。
自分で選べば結果的に失敗だったとしても、ああ、私バカだったな、と笑うことができる。
のたうち回って泣くことだってできる。
他人のせいにしなくて済む。
多分、私にとってはそれが重要なことなのだ。