短編ストーリー「新蕎麦をもとめて」
※この物語はフィクションです。
登場人物、お店は架空のもので、作者の想像です。
☆今年も新そばの便りが届きました!
そこで、拙いながら自作の小説を作成しました。
秋を感じていただけたら嬉しいです。
※追記(2022/12/31)
●こちらの作品は公序良俗に反しない範囲において、
個人の利用であれば、どなたでも自由に、無料で、非商用・商用問わず、音声配信、動画配信、聴衆が集まる朗読会などにおいて、朗読していただけます。
(ただし、この文章をそのままコピーし、文章媒体に貼り付けるだけの公開はお止めください。朗読発表の補助的に文章をコピーし、貼り付けることはOKです。)
●内容に大きな変更が無ければ文末を変えるなどもOKです。
●文責を明記するため、
作・ナシノー
等の表記をおねがいします。
●また、こちらのページをURLリンクで表記いただけたら嬉しいです。(リンク貼付は任意です。)
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
(本編)
上手く行かないことが最近続いている。
気分を変えたくて、仕事が休みの日に愛車に飛び乗った。
私のコンパクトカーは雨に濡れて、
ボディの青がより鮮明に目に入る。
街路樹は赤く色づき始めていた。
朝が日に日に寒くなる。
秋の訪れと共に
あの懐かしいのどごしと独特の香りがよみがえる。
「…おそば、食べたい」
口から出てしまうほどに私は新蕎麦を欲していた。
美味しい蕎麦っていうのは、だいたい郊外の田舎の風景の中にある。
通(つう)ぶって、そんなことを思いながら私は目的のお店へと向かった。
近くはない。1時間ほど、蕎麦を食べるためだけに車を走らせる。
そのドライブの間に、
最近の失敗が頭の中に浮かび上がってくる。
でも、もうネガティブに捉えない。車の心地よい揺れと共に、今は冷静に分析できる。
次はきっと上手くいく。
いつまでも落ち込んでいるわけにはいかない。
まだまだ挑戦したいと、心の奥のわたしがつぶやく。
少し気分が晴れてきた。
頭の中が整理できてくると、意識は次第に新蕎麦へと向く。
街の喧騒は遠(とお)のき、
稲刈りを終えた田んぼを横切る。
山々の紅葉が心に暖かさを与えてくれる。
さっきまで降っていた雨は止んで、
赤や黄色のモザイクアートがより鮮やかに陽の光を浴びて浮かび上がる。
少し走ると懐かしい建物が見えた。
…
車を停めて、店の中に入る。
「いらっしゃい」
女将さん、変わらないな。
大将はキッチンの奥で背中を向けて、蕎麦を茹でていた。その背中には独特のオーラが漂っている。
店の中にはすでに何組ものお客さんが小気味よい音を立てて、灰色に艶めくそれをすすっていた。
席に案内される。
いよいよだ。待ちきれない。高揚する気持ちを抑えるために出された緑茶を一口飲む。
ホッとしたのも束の間、すぐに注文したざる蕎麦が届いた。
「…いただきます」
今年も新蕎麦を食べられることに感謝して、蕎麦をすすった。
ズズッ、ズズッ。
はぁ。
この蕎麦の香ばしい香りを味わいたかったんだ。
この香りは秋の実りを祝福する香り。口の中から鼻へと抜ける。
そして数回咀嚼して、ごくん。うん、こののどごしが最高なんだ。均等に切られた蕎麦は何の違和感も無く、のどを通り、胃に落ちる。大将のそば打ちの腕前に敬服するばかりだ。
ただただ無心に蕎麦をすする。
このそばつゆも蕎麦の味を邪魔せず引き立ててくれる。途中で刻んだネギとわさびを添えて気分転換。
あぁ、もう蕎麦が無くなる。
名残惜しい。
最後の一口まで香り豊か。なんて満たされるんだろう。お腹の中から幸せが体中に広がっていく。
そうそう、
いつの間にかいいタイミングで女将さんが運んでくれた蕎麦湯を頂こう。
残っためんつゆのなかに白濁とした蕎麦湯を注ぐ。トロっとした蕎麦湯の濃さに驚く。温かい蕎麦湯のおかげで美味しさに興奮した気持ちが和らいでいく。
この余韻がまた、たまらない。
すべてをきれいに平らげた。
「…ごちそうさまでした」
口から出た言葉に感謝の気持ちが乗っかる。
さて、お昼時で混んできたようで、
お店の中がより賑やかになった。
席の順番を待つ列も長い。
長居は無用、
席を立ち、お会計を済ませて、
そんなガヤガヤとした音を背中に聞きながらお店を後にした。
お店を出た瞬間に目に入る、里山の原風景にまた感動させられた。
稲刈りのあとの田んぼが広がり、
民家がポツポツと申し訳無さそうに建っている。
奥には色づいた紅葉を身にまとった山々が連なる。
もう少しすると雪に覆われてしまうんだろうか。
車に乗り込み、家路につく。
行きよりも気分はだいぶ軽くなった。
お蕎麦はいつでも食べられるけれど、
秋に食べるこの新蕎麦は一年に一度、このときだけ。
また来年が楽しみだ。
それまでに私はどんな大人にアップデートされているだろうか。一年後の自分はどうなっているのだろうか。
そんなことを考えながら、
晴れた秋空の下、気持ちよく走り抜ける。
口の中に蕎麦の余韻を残したまま。
(終)