【クライマーズ・ハイ】実際の事件を元にして描かれる新聞記者の戦い
1985年に日本航空の飛行機が群馬県の山中に墜落した事故を題材にした「クライマーズ・ハイ」は、平成生まれの私にとってはかなり衝撃的な作品でした。
日本で飛行機が墜落するという事実も、当時の新聞記者の働き方も、昭和の会社員の奔放っぷりも、信じられないことばかり。読んだ後はしばらく放心してしまいました。
自分が生まれる前の時代について知ることができたという意味でも有意義な読書体験ができたので、特に心に残っているところを書き残しておこうと思います。
墜落した飛行機
作中に登場する日航機墜落事故は、実際に起こった事故をそのまま物語に落とし込んでいます。
この事故が発生した当時の空気感は想像するしかないのですが、おそらくとんでもないことが起こったという震えが日本中を駆け巡ったのではないでしょうか。
生まれてからずっと不景気だった世代としては、東京と大阪を結ぶ飛行機に500人もの乗客がいたことにまず驚きました。しかもそんな飛行機が1日に5便も飛んでいたなんて。
この事故の被害に遭ったのは524人。そのうち520人の方が亡くなったそうです。遺体のほとんどがひどく損傷していて、遺体の回収も人物の特定もかなり難しかったと書かれていました。
さらに墜落現場は日頃人が立ち入ることのない山奥。山に慣れていない記者にとっては現場にたどり着くことすら一苦労だったといいます。
携帯電話のない時代の新聞記者
事故当時はまだ携帯電話が普及しておらず、記者たちは皆ポケベルを使っていました。用事がある時はポケベルを鳴らし、折り返し電話をしてもらうという、今となっては信じられないような方法で情報がやり取りされていたようです。
事故現場となった山中にはもちろん電話なんてありません。現場で目にしたものをいち早く伝えるためには、他の記者に無線を借りるか、山を駆け降りて電話をかけるかしかないのです。
今のようにインターネットが普及していなかった当時は、新聞が最速の情報機関だったのかもしれないと思うと、記者の人たちが気負うのもわかる気がします。
特にこの物語に出てくるのは墜落現場となった群馬県にある地方新聞社なのです。
地元で起こった史上最大とも言える事故。
しかし、皆が皆、それを伝える使命に燃えているかと思えばそうでもないのがリアルです。
この事故を担当すれば記者として一生自慢できるというモチベーションで動いている人も少なくありません。
歴史的大事件に立ち会った人というのは、その出来事が大きければ大きいほど、そしてその中心に近ければ近いほど、全体像が見えなくなるものなのかもしれないと思いました。
1985年の働き方
「クライマーズ・ハイ」の舞台になっている日航機墜落事故が起きた1985年は、女性記者はまだまだ少なく、仕事とプライベートの境目もあいまいで、まさに24時間働けますか?の時代。
社内政治のために休みなく接待をくり返したり、社内外問わず上司と喧嘩したり、そしてそれに対して上司が「俺にそんな口をきいてどうなるかわかってんのか!」と脅したり…。
今の時代では考えられない働き方に驚きの連続でした。
家族を犠牲にするのなんてあたりまえで、男性の居場所は職場にしかないようなものだったのでしょうか。だからこそ出世にこだわり、職場で自分の存在意義を示すことに必死だったのでしょうか。
登場人物の誰もが、部下に怒鳴ったり、上司への失望を隠さなかったりと自由奔放に振舞っているように見えました。
自分の意思を通すためには卑怯とも言える手を使うことも珍しくありません。
売れる新聞を作るため、社内で力を誇示するために選ばれる記事は、インパクトの大きいもの、涙を誘うようなもの、他の新聞が掴んでいないようなものなど、様々な忖度が働きます。
そんな中で読者が読みたいものは何だ?と葛藤する主人公は、この作品の中では異色とも言えます。
大事故ならば何日にも渡って大きく扱われるけど、1対1の交通事故にはそこまでスペースを割かない。
ある登場人物の「命には重いものと軽いものがあるんですね」という言葉にずーんと来ました。
新聞記者として伝える義務があるんだという言葉を盾にして、被害に遭って間もない人を突撃したり、被害者の顔写真を求めて遺族に押しかけたりする。
そういう描写に違和感を覚えることはあっても、自分が読者だった時は何も考えずにその情報を享受してたなと気づいてヒヤッとしたり…。
この物語は、令和の今読んだからこそ、色々と受け取るものが大きかったと思います。
最後に
実際の事件や事故を題材にした作品は、読んでいる時の重みが違います。
これを機に日航機墜落事故についてもちゃんと知ろうと思い、いくつか文献を読みました。
その中でもこのノンフィクションからは、当時の空気感がヒシヒシと伝わってきたので、おすすめしておきます。