コップに水が溜まらない。宿屋の蛇口に示唆される。
先日、法事で宿に泊まった。
ユニットバスでシャワーの前に歯を磨こうと蛇口を捻った。バシャバシャと水が結構な勢いで飛びだす。ぼーっとしながら、それを汲もうとコップを差し出す。ビシャビシャと勢いに圧倒され溢れ出てしまい水がぜんぜん溜まらない。
どうやら勢いが強いと水は溜まらないらしい。
勢いが強いと、水は溜まらない……。何かを示唆されているようだ。
ぼーっとした頭で思案しているとフィードバックに似ていると思った。
成果を出そうと、メンバーを育てようと、一生懸命に俺は言う。
「これを目指そう」「改善していこう」「成長が肝心」「応援するよ」「何故できない」「やる気がないのか」……。
マネージャーになってはじめの頃は肩に力がはいる。俺は「部下を成長させるいい上司」になるんだと、情熱をもって語る、語る。
でも、ぜんぜん響かない、まったく溜まっていかないの。
信頼関係どころか、不信関係づくりをしている。
似ている、似ているぞ。
情熱も勢いよく相手に注いでは溢れかえってしまう。そもそも、受け手に委ねるしかないことを、ジャバジャバと注いでもほとんど溜まることはない。けれども、自分のことは悪いとは思わない。だって、熱意があって、意識も高いから。
「メンバーには言ってはいる」
「やる気が感じられない」
「意識が低い」
「自分がやったほうが早い」
報われない熱量は、このあたりに転ずるだろうか。水が溜まらないのはコップだけの責任であるかの如く。
他にもないだろうか。どこかにバシャバシャ注いでないだろうか?
あぁ、上司への提案もそうか。
僕は情熱を持って仕事をしている。改善点、悪い点を見つけるのが上手い。そう自負している。
「こうしたほうがいい」「あぁしたほうがいい」「効率、合理化、生産性」。いろいろ提案する。
上司は受け入れない。理由はよくわからない。
僕は情熱に焼かれアチチと転げ回って憤る。「わからず屋」、「腐っている」と心で叫ぶ。(本当にわからず屋な場合も多いけど)
「悪いのは全部コップのせいだぁ」と嘆く自分を想像した。
洗面台の鏡に映る裸の自分に「頭を冷やせ」とつぶやく。
齢を重ねた私は、少しは相手のことを考えるようになった。受け手の度量を超えないように、相手のコップに丁度いい量を考えている。それでも溢れかえることはある。
そうか、勢いかぁ。
ユニットバスで「なるほど~、なるほど~」と蛇口を捻り水の勢いをいろいろと試してみる。
そうだ、「丁度よい勢い」があるんだ。
そんなことがユニットバスで起こっていた。
宿屋の蛇口に教えられた。ありがとう。
しかし、寒い。
東北の宿、裸で考えることではなかった。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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