自分を超えた考えは、自分の中には無い。
それはそうだ、と思うかもしれません。ですが自分を超えた考えは、やはり自分の中にはありません。
自分の中に解決法が見つからないから、問題や課題と感じるのだと思います。解決法がわかるのなら粛々と行っていけばよいです(諸事情もありますが……)。
社会人の7割が過去3年以内に研修を受講していないという調査結果が、パーソル総合研究所より示されました。5割が業務外の学びを全く行っていないそうです。
経済産業省の資料でも日本の人材育成投資は圧倒的に低いです。
リーダー研修やマネジメント研修を行わず、自身でも学ばない場合は、自分が育ってきた経験をもとにするしかありません。それは上司の真似なのでしょう。
あなたのリーダースタイル、マネジメントスタイルは「〇〇部長」や「〇〇課長」を真似ていませんか。「私はそうやって育ってきた」と思っていませんか。もしかしたら、そのスタイルは親の影響かもしれません……。
または、〇〇部長よりはマシ、〇〇課長よりはマシ、そう思っていませんか。確かにマシかもしれません。
話は逸れますが、私は「人生が変わる!」という表現が苦手です。人生は概ね選択をし続けています。大小はありますが、常に人生が変わっています。どこに入学するか、どこに入社するか、誰が上司か、誰と交際するか、で人生は大きく変わっています。人生が変わるのは特別なことでもないのです。
だから「人生が変わる!」と強い言葉を使われると警戒します。あまりにも騙し文句として利用されていますし……。
さて、あなたがリーダーであるなら、あなたにより部下の人生が変わっています。あなたも変わってきたと思います。仕事上の話だけではないです。ワークとライフは切り離せません、人生が変わっています。
それが「マシ」でよいのでしょうか。
部下の人生を預かってもいないし、部下も預けてはいないでしょう。必要以上に重くとらえることもないと思います。しかし、あなたにより部下の人生が変わります。その事実に向き合ったときに「マシ」でよいのでしょうか。
自分を超えた考えは、自分の中にはありません。だから少しでも学ぶ必要がリーダーにはあると感じます。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」であってほしい。
その問題や課題は、きっと誰かが解決済みです。
学ぶのは時間もかかりますし、疲れます。でもリーダーは「マシ」を超えてほしい。そう願います。
解決策は自分の中にあり、言語化できていない場合やアイディアとして結実していないだけなこともあります。その場合でも「学ぶこと」が触媒となりえます。
自分を超えた考えは、自分の中には無い。
きっと誰かが解決済みだ。
そう思って「学び」に求めてはいかがでしょうか。
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