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拠り所を否定されないために
自分が、自分であることを確立する術の中のひとつに、何か憧れのものや好きなもの、それをモチーフにしたり、拠り所にするものがあるかもしれない。
なりきりや変身、とまでいかなくても、自分が好きなもの、愛してやまないもの、それがあるからこうしていられる、そんな、類の、もの。
それをゆるがされたとき、崩されそうになったとき、砕けてしまったとき。
自分自身のアイデンティティも、粉々にされてしまうような、そんな笑顔を、見つけてしまう。
押し黙り、ただ、笑うしかない。
そんな、笑みを。
それですべてが終わってしまうわけではない。壊れてしまうわけではない。そんなもので、自分を見失ったり、なくしてしまうわけではない。けれど、
そのときの、かなしみやさみしさは、その表情の裏側に感じるものもある。
放課後等デイサービスにいたころ、そんな場面をよく見たことがある。
それでも、子どもたちは立派に立ち直り、ときには支えながら、自己を確立していく。
それは、大人でも同じかもしれない。
信じているもの、信じさせられたもの、依存しているもの、なんでも。
それに縋りながら、日々を生きて、わたし、という存在をつくり、破綻しないようにする。
それに裏切られたとき、拠り所がなくなり、地面がなくなってしまったような浮遊感に、不安が押し寄せ、苛まれたとき。
自分を保ってなど、いられないであろう。
そんな不安定な、曖昧な線に立ち、私たちは生きている。
どこに踏み出してしまうかは、いろんな状況や環境、素質が左右する。
そうならないために、そう、ならない、ために。
否定しない、という気持ちは、とても大切なことだと思う。
相手を否定するのなら、否定されても仕方ない。
否定しない気持ちがあれば、仮に否定されても、相手のその言葉を受け入れることも、できると思う。
その言葉を否定せずに聞き、そんな言葉を与えてしまう相手の心理や気持ち、状況を受けて、では、どうするか。それを、決めることが、できる。
ーーなんて、未熟者の私はすぐに落ちてしまうのだけれど。
そんな気持ちだけは持っておこう、と。
そう、思っている。
否定する、否定される、ということが、何よりも、怖い、から。
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