こんなにも美しい世界の中で
この世界に見えるもの、すべてが美しく思う。美しく、感じる。
燦々たる陽の光が世界を照らし、目に見えるものすべてが輝き、光を放ってその色をより鮮明に映らせる。心は自然にそれらを受け入れ、自然に明るくなり、自然に癒される。
心地よいほどの風も戯れるように身にやさしく抜けていき、流れる髪の一本一本が喜びを表すように踊っている。ほどよい冷気とほのかな ぬくもりがこれ以上ないほどの刺激のない空気を生み出し、なんのストレスもなく散歩を楽しめる。
あまりの居心地に、この世界の美しい輝きに、桃源郷を思わせるのはむしろ、すでにこの場所がそうであるからなのかもしれない。
ーーのに
なぜこうも、こんなにも、私の心は荒み、汚れ、卑しく思えるのだろう。
この世界に存在するすべての中で、唯一の穢れのように、感じてしまう。この輝きが、あまりの光がそれを浮き彫りにさせ、くっきりとした動き回る染みのように、私を照らしている。
こんなにも癒しを感じ、心地よさを感じているにもかかわらず……。
ただ、私は否応なく感じるこの気持ちに抗うこともせず、すなおに感じるまま受け入れていた。
私にできることといったら、それくらいなものだ。
たとえ私の存在が、この美しい世界の一点の異端なものだとしても、私がこうしてこの世界に生きている事実は変わらないし、塵のように消えていなくなれるわけでもない。スポットライトに照らされるが如く、いや、サーチライトかもしれないけれど、この穢れを浮き彫りにさせているのは間違いなく輝かしい光であって、世界が美しい故に私は存在できている。この世界が汚れているのだとしたら、私はここに、生きていない。……と、そう、思って、みる。
あぁ、なんで、どうしてこんなにも、こんなにも世界は美しいのだろう。目に映るすべてのものは光り輝き、色鮮やかに心を楽しませるのだろう。
どうして、どうして、私の心はこんなにも、枯れ果て、荒涼とした大地みたいに、ひび割れているのだろう。
そうして相反する想いや現実が、この世界をとどめておくのに必要なことだとしたら、私の価値というものは、私に見出すことができるのだろうか?
自分の語っている言葉にさえ矛盾を感じる。
私は結局、どうありたいのだろう。
それが何かもわからないまま、私は美しいこの世界に佇み、歩き、生きて、生きている。あまりにも美しい、こんなにも心地よい世界で……。