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私の声に耳を傾けられるのは、私だけかもしれないから
わがまま、と、自分勝手、は似て非なるもの。
わがまま、を漢字にするとよくわかる。
我が儘
私が思うように、生きる。それが、わがままだ。
えてすると、たしかにそれは自分勝手と捉えられてしまうかもしれない。けれど、わがまま、が、人のためになることもある。それは、私が思うように生きることが他者のためになりうることもあるからだ。
言葉の持つイメージがそのまま意味をなしているわけではない。たしかに、今は、言葉の印象が受け取り方に影響を与え、本来の意味ではない使い方、もしくは、本来の意味での使い方が敬遠される場合も少なからず(少なくないかなぁ)あると思う。
そこに自信を持てないときも多くあるし、実際には使わずに心の中で思うことも多々ある。
その言葉で理解されるとは思えない
と、諦めてしまう。
理解されたいわけではないし、理解できるとも思えないけれど。
それは私の回避なのかもしれない。
それで本当に「わがまま」に生きられているのか、と問われても、できていないかもしれない、と答えるしかないのだけれど。
自分の気持ちにすなおに生きる。
私は今、何がしたい? その声に、耳を傾ける。
そうして聞こえた声、心が動かす私を大切にして、生きていきたいとは思う。
それが正しいとか、間違っているとか、正しくないとか、間違っていないとか、そういうことではなく。
その気持ちを信じて、選びたいと思う。
そうして選んだものなのであれば、結果がどうであれ自分として生きられた証になると思う。
後悔するにしても、自分で選んだ後悔なら、それはまたそれである。
わがままに、自分の気持ちにすなおに。
自分のために生きる。
我が儘に、わがままに。
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