ひとつの箱
電車に揺られていると、さまざまな景色が見えてくる。なんて、たいしたこともないことを、思っている。
車窓はひとつの映画のように移ろい、景色を見せて、何をしていなくても、こうして考えてなんていなくても、楽しませてくれている。
うつろうのは車窓ばかりではなくて、駅に止まるたびに種々の動きをする人々は、まさしく演者のようで、もしかしたら私は、ただの観客なのかもしれない。
目に映る景色も、耳に響く会話も、何ひとつ、飽きることなく、同じことはなく、変化していく。
あぁ、電車とは、ひとつの変化をおさめる箱なのかもしれない。
なんて、また、たいしたこともないことを言っている。
そうして、その中においてなお変わらない私、は、何なのであろう。
ただ、座って、見ている。
もしかしたら、私はこの箱の中に存在していないのかもしれない。
まるで幽霊のように、この演者たちの目には何も映っていないのであろう。
それなら、その人たち個人個人は?
私と、同じなのだろうか。
私も彼らから見ればひとりの演者にすぎず、この箱の中に閉じこめられている映像のひとつなのか?
そんなくだらないことを考えている間に、終点にたどり着く。
あぁ、これからどこへ行こう。
私の終着駅はまだ、自分には見えない。
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