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からっぽの心に拾われた私
からっぽになった心に何を拾い集めれば、また埋まっていくのだろう。それとも、このままでもいいのかな。もう、何もわからない。わからない。何でもいいし、どうでもいい。このまま……
気づいたら真っ白な部屋に横たわっていて、声も出せない、指も動かない。瞳は開いているようだけれど、感覚がない。音は聞こえるような気もするし、そういうふうに想像しているだけかもしれない。
ここがどこかなんてもちろんわからないし、知ろうとも思わない。とりあえず、体は生きているらしい。……本当かどうかは、わからない。感覚があまりになさすぎて、幽霊だったとしても疑わない。けれど、意識して動けないのだから、きっと、生きているんだろう。いち、生命体としては。
こうなる前に何をしていたか、とか、何を考えていたか、とか、何にも、思い出せない。とりあえずこうして思考し、それなりのことはわかっているつもりだけれど、自分のこととなるとまったく。何者なのか、そんなこともわからない。不思議だ。考える力があって、言葉も持っているのだから、すべてを失っているわけでもなく、退行しているわけでもないのに。何で、記憶や自己、世界への興味、諸々のこと、何も湧いてはこないし、正直にどうでもいい、なんて思えるんだろう。不思議だ。
今、この状況は、まったく不便ではなかった。不快でもない。動けない、というのは、私にとって普通のことだったのだろうか。それとも、あまりに感覚が麻痺しすぎて、そんなことも感じないのだろうか。こうして、考えることができる。それはなんて、すばらしいことだろう。それだけで、満足だ。
こんなに、私、というものを感じ、考えることって、あるだろうか。
私、という存在を知覚しようとし、体ではなく、思考でーーそれとも、魂、とでも呼ぶべきものだろうか。こんなにも、自分自身へ目を向けている。
きっと、私は自分のことなんてどうでもよくて、見ようともしなければ、聞こうともしていない。何にも感じない、何にも考えない。そんなふうであったのだろう。こんな言葉が出てくるのだもの。無意識に、現れてくる、言葉はきっと、本質に近いものなのだと思う。
からっぽだったんだ。
私は、きっと、からっぽに、なったんだ。
そうして、私、という存在も消してしまって、体は動かず、感覚もなく、そのまま閉じてしまった……のに。新たに「私」が生まれて、こうして私を見つめている。
不思議なものだ。
そうまでして、私を知りたかったのかしら。
からっぽになったのにね。からっぽ、だったのに、ね。何が、本当は、よかったんだろう。
今はこんなにも、私は、私を、見つめている。
私は、それで、いいかな。
さて、一度、眠ろう。瞼を閉じて、眠りにつこう。
目覚めたらーーどうなるんだろう。その先の世界を見て、私は、どうするんだろう。
きっと、そのときにも、そのときの私がどうにかするだろう。
さあ、眠ろう。眠ろうーー
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