自己中心的で 自己満足
誰かのために、できることって何だろう。
私のために、できることって何だろう。
そのバランスのとり方が難しい。
きっと、物事は自己中心的がいいのだろう、なんてことを、最近思う。それは何も、自分本位に好き勝手する、ということではなくて、あくまで自分の行っていることから得た自己満足で十分なのではないか、ということだ。自分がやっていることに対して、ここまでやってあげたのに、こんなことまでしてあげたのに、と、誰かしらの、何かしらの称賛や対価を得たいがために行動するのではなく。評価や実績を意識しすぎて他者視点で満たされることを考えてしまうと、いつまでたっても周りの目からは逃れられない。自分をおろそかにしたものになってしまうのではないか、と思う。
それでも、自己満足でいいのだろうか、他者から評価されなければ意味がないのではないか、それだと結局独りよがりではないか、周りに認めてもらえなければ何の価値もないのではないか――そんなことが思い浮かぶのも、わかる。
自分の満足、自分が満たされる、それは周りにはわからないもので、他者から称賛されることもなければ、見返りがあることもない。ただ、その行動自体が悪いものでなければ、評価されるものもあるだろうけれど。
他者から認められたい、ほめられたい、見てほしい、尊敬されたい……その他、何でもいいが、それだけになってしまうと、結局のところ、自分の満足につながっているのか、疑問に思う。他者から称賛されることで満たされるなら、それは他人から得たものであって、自分ではないから。少なくとも、私にはそう感じられる。それ自体、私は悪いことだと思っていないし、よく見せるために工夫することや努力することは、自己研鑽にも、つながっていくとも思う。ただ……そう、
きっと、私は、見られることがそんなに好きではないのだと思う。誰にも、何にも、気づかれることなく、これがよい、と感じられるものを静かに行っていく。誰に見られなくてもいい、誰に知られなくてもいい。満足とか、そういうことより、きっと。そんな気持ちで、想いで、生きてきた。
先日、リーダーは会議の中でこんな言葉を伝えていた。
「今、自分たちがやっていることを、しっかりと伝えてほしい。こんなにもみんながんばっているのだから、その取り組みを、そのがんばりを、伝えていきたい。また、それを知ってもらえるよう、伝えていくのが私の仕事でもある」
それは、私が思っていることとは真逆のことであったけれど、その言葉の力強さには惹かれるものがあった。それゆえに、そのバランスのとり方が難しい、とも感じる。私の思うこと、他の人が思うこと。
それを考えているうちに ふと 私が普段思っていたことと違いがあるわけではなく、むしろ矛盾も何もないものであることに気がついた。
それは、きっと……そうして自分たちの取り組みを伝えることがけっして見返りを求めるようなことではないから、だ。認めてもらったり、知ってもらったりすることが、必ずしも相手から何かを得るようなものではない、と、感じたから、だ。
少し、視点を変えて考えるだけで、こんなにも見える世界が違う。
私の言い方では、自己中心的で、自己満足。それは、でも、自分がよければそれでよい、というわけではない。
相変わらずそれを伝えていくのは苦手分野、静かに、誰にも知られることなく、とも思う、けれど、いろんな人の、いろんな世界。それに触れていくのは、おもしろい、とも思う――から、こそ、私のほうから歩み寄ることも、大切なのだろう。
誰かのために 私のために できること
そのバランスをうまくとりながら、私もいつか、もっと、私を伝えられるように、していかれたら。
それは、それで、いいのだろう、な。
そんな日が来なかったとしても
私は、私で、満足しているなら……
それならば、それは、それで、いいのだろう、な。