あなたの背中
彼女は泣いていた。
私はただ、見ていることしかできなくて、そばにいながら何もできなかった。
あまりに、理不尽だと、思う。
こんなにがんばっている人に対して、なんでこんな仕打ちができるのだろう。
静かに溢れる嗚咽が、その姿を見せない彼女の背中が、かなしい。
私は何も言えなくて、そばに寄り添うこともできなくて、ただ、そこにいた。
どれほど、時間が経ったであろう。
彼女は静かな涙を、拭う動作をすると、くるっと、振り返って、笑顔を見せていた。
疲れ、やつれ、怒りも、かなしみも、見える。
電話越しの言葉は聞こえなかった、けれど、彼女の言葉に、どんなことを言われたのかは、想像ができる。あの人は、何も見ていないのに、平気でそんなことを言えてしまう人だから。
先ほどまで、明日の打ち合わせをしていた明るい空気は無残にも消え、あるのは電話の余韻が漂う、湿った空気だ。
彼女は、ごめんね、もう帰ろうか、と精一杯の声で伝えると、帰り支度を始めた。
それでも私は何もできずに、かえって私のほうが沈んでしまっているようにさえ感じる。そんなこと、ない。彼女のほうが、よっぽど傷ついている、のに。
きょとん、とする彼女に、まともに顔も見られず、動くこともできず。それでも、彼女は
「ありがとう、大丈夫よ。ここにいてくれて、心強かった」
そう伝えると、私の肩を叩いては、にっこりと笑みを浮かべている……。
私は思わず涙を流してしまい、それを受けて、彼女は静かに私を抱きしめてくれた。
本当は、私が、何かしなければいけなかったのに。支えにならなければ、いけなかったのに。
こんなにもがんばっている人に、私は何もできなかった。何も返せなかった。
支えに、なりたかった。もっと、力になりたかった。こんなに、かなしい背中なんて、見たくなかった。
悔しい、なんにも、知らないのに、理不尽な、ことが、言葉が、悔しい。
呂律もきっとうまく回っていなかった、言葉も途切れ途切れだった。けれど、彼女は、うんうん、と言いながら、聞いてくれた。
「ありがとう。その想いだけで、十分だよ」
そう言って、私の涙を手で拭うと、両頬をぐりぐりして笑う。
結局、私のほうが救われてしまった。
その、年を重ねた手で、どれだけの人を守ってきてくれたんだろう。私みたいな、ひよっこを、救ってきたんだろう。
その手のぬくもりを感じながら、私もいつか、こんなふうに守りたい、支えになりたい、と本当に思った。
今はまだ、何にもできなかった、けれど。
先ほどのかなしい背中なんて微塵も見せず歩く彼女を見て、私は大きく足を踏み出して、その背を、追った。
いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。