観察、という側面
「あの人って、何を考えているんだろう」
私は ぽーっと あの人を眺めながら、そんなことを考えてみた。
それは、あの人に気があるから、とか、あの人のことをもっと知りたい、とか、そんな何かの理由があるからではない。特にミステリアスな雰囲気を感じるわけでも、奇抜なファッションをしているわけでも、ない。
ときおりーーもしかしたらときおりではないかもしれないーー降りてきたようにある人が気になって、観察を始めてしまうことがある。それは見ず知らずの人が多いけれど、もちろん見知った顔の人もたまに。
ターゲットになるのはいつだって、たまたまだ。
(今回の)あの人は、目立った特徴は特にない。メガネをかけている。背は高い。頭は何も手がけていないぽわんとした髪型。白いパーカーに、インナーは緑、黒のズボン。私と同じように喫茶店に来ていて、コーヒーカップの中はさすがにわからないけれど、お茶をしながら本を読んでいる。
あの人は、大学で見知った顔だった。特に人付き合いが多くはなさそうで、たまに誰かといるときはあるけれど、どちらかと言えばひとりで行動していることが多いように感じた。
私があの人を認識したのはいつのころだったか。
喫茶店で今日のように顔を見てから、どこかで見たことがあるような気がして、じーっと見ているのが何回かあり、すっかり顔がおぼろげに形になったころにあの人を大学で見かけて以来、認識したに違いない。
私がこうしてあの人の顔を見て、その心を覗くことができないように、きっとあの人が私の顔を見て、私の心を覗けないに違いない。
何を思っているかだなんて、聞いてみなければわからないのだ。いや、聞いても、わからないかもしれない。
よく作品とかでも、会話をしてみたら意外にも、なんていうことがあったりするけれどーー私もそう思うけれどーー実際にはどうなのだろう。
咄嗟についてしまう嘘だってあるくらいだから、何が真実かだなんて、本当のところはわからない。
私がこうして空想してしまうのは、きっと想像の余地を残したいからなのかもしれない。知らなければ、いくらでも、なんでも、考えられる。それを確かめる必要もない。
なんて、話しかける勇気が持てないだけだけれど。
私は、コーヒーを手にして口にする。読みかけの本は栞を挟んだまま開いていない。
と、
影が見えたと思ったら、あの人が私のテーブルまで来ていた。
驚きを隠せず、思わずコーヒーを吹きそうになる。さらに、
「いつも、見ているけれど、なに?」
その言葉に ぎくり と動揺してしまった。言葉にする前に、そうです、と伝えてしまったようなものだった。
あの人は荷物を床に置いて、真向かいの席に座る。コーヒーカップにはおそらくカフェラテが入っていた。
私はどぎまぎしながらあの人の顔を見て、そっとコーヒーを飲む。あの人が目を合わせると、思わず視線をそらした。
あの人はカフェラテのコップを手にしたまま、私のほうを見ている様子であった。私は何も言うことができず、ついに俯いてしまう。
「さっきも聞いたけれど、いつも見られているような気がするからさ。何か、用があるの?」
思った以上に積極的だな、と感じながら、さてどう答えたらよいものから思案していた。正直に、ただ観察していることを伝えるか、それとも何かうまい言い訳はないものか。
たしかにここ最近、見かけてしまうとつい見ていたことに、あの人の言葉で気がついて、動揺した。そんなに見ていたのか、ということもそうであったし、それを感じ取られていたのか、ということもあった。
「う、ううん。特に、用は、ないよ」
私は精一杯、それだけ伝えると、恥ずかしさのあまり、頬が熱くなるのを感じた。
そのとき私は、返ってくる言葉に恐怖を感じてもいた。どんなことを、感じているのだろう、と自然に想像してしまい、どんどん話しが進んでしまう。
気持ち悪い、意味がわからない、怖い、どういうこと? 様々な感情を考えてしまう。どんな、言葉が、返ってきてしまうだろう。
「そう、特に用がないなら、いいか。気のせいだったかな、悪かったな」
しかし、返ってきた言葉はまったく想定外のもので、まさか謝罪をされるとは思わなかった。
私は、あの人の言葉にちょっとした罪悪感を覚えていた。たしかに用があるわけではないから、嘘は言っていないけれど、本当のことを言っているわけでもない。嘘を言わずとも、それを隠すことはできるものだ。そんなことをぐるぐる考えているうちに、あの人の、そのまま帰ってしまいそうな雰囲気に、慌てて
「えっ、と。あの……用があるわけでは、ないけれど、その…‥見ていたのは、そう」
と、もごもごと口にする。あの人は、ん? といった表情で私を見ていて、なんて言おうか悩んでいるみたいに黙りこんだ。
私は私でそれ以上のことはなんとも伝えられずにいた。
「……うーん、と。それは、何か、理由はあったの?」
あの人は、特に感情を表さずに、落ちついた姿勢で質問をしてくれた。限りないそのやさしさに、私は自分の観察眼を疑いながら、ただそのやさしさを胸にしまいこんだ。
「なんて、伝えたらいいのか、わからないけれど、その。私、人を観察するのが、その……す、趣味で、どんなことを考えているのかな、とか、思っているのかな、とか、想像したりして、人の心を覗き見ようとしているの」
私は今度こそ「気持ち悪い」と言われないか心配していたが、あの人はむしろ、その言葉に合点があった様子だった。
「そういう理由だったか。なるほどね。気持ちは、なんとなく、わかる。僕もそういうところあるし」
なぜだろう。とても、やわらかな気配を醸し出して、親しみすら感じる。その言葉は私からすると遥か想像の枠の外。自分のあまりにも人を疑う気持ちに恥じらいさえ感じてしまうくらい。私にとっては、有り難いものであった。
でも、ここに、存在している。
不思議な、感じだ。
たしかに、話してみないと、わからないことも、あるのかもしれない。固定観念で、そう思いこんでいるだけでは、決して見えないものが、あるのだ、と。
あの人は、先ほどとは違って笑顔で話しかけてくれる。
「それで、実際に話してみて、観察の想像と違いはあった?」
思わず、私も笑みをこぼしながら、
「うん、全然。まだまだだなって、思った」
すなおに、そう返した。
いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。