私の中にある狡さ
これはいけない
これはだめだよ
そういったものは、なぜなくならないのだろう。
誰もがそれは、と感じること。……そもそも、誰もそんなこと気にしていないことなのかしら。
いけないこと、とわかっていながら、そうしてしまうのか。
初めから、そんなことを感じずに、そうしてしまうのか。
ルールやモラルが人の決めたものである以上、それは自然なことではないのかもしれない。
しかし、ルールやモラルが存在する理由がお互いに気持ちよく過ごせるものだとしたら。
それに反することは、どんな理由があるのだろう。
人も動物、自然の生きもの。
自然に、自分の赴くままに行動できないことは、苦痛に違いない。
ただ、コミュニティに属する生きものとして、秩序を乱すものは排斥されてしまうなら、純粋に生きることを考えて、それを抑える必要があるのだろう。
それでもなお、自分を守りたいのなら、そうしてまで自分、という存在を守りたいのなら。
……いや、そんなことを考えて、あえてそんなことをしているわけではないだろう。ただ、
誰もが等しく、自分の心の声を聞いて、そのうちなる声に従って生きているのだとしたら。
私たちにできることは、本来、どんなことなのだろう。
きっと、誰かがそんなことを考えて、感じて、思って、いたとしてもなお。誰もがそんなことを考えて、感じて、思って、いなかったとしてもなお。
何も、変わらないものなのだと、いう諦めがつきまとう。
そうして私は、私の中にある狡さで、小賢しく生きているのだろう。
いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。