相手の気持ち
心なんて持たなければ、傷つくことも、なかったのだろうか。
そんなくだらないことを考えなければいけないくらい、どうしようもない痛みが胸を襲っている。これが、傷つく、ということなのだろう。
そんなこととは無縁だった。これまで、こんなことはなかった。
相手を叩いたって、どんなことを言ったって……たとえそれで相手が泣いていたり、暗い顔をしていたり、そんなときにだって、私には何の痛みもなければ、何を感じることもなかった。
だって、私は痛くないのだから。何をしていたって、かまわない。
そんなふうに、しか、感じられなかった。
心売りの老人に出会ったのは、昨日のことであった。それは突然、目の前に現れた。
心売りだなんて、怪しげな言葉だ、と思いながら、話しだけ聞いてみる。どうやら、その人にとって必要なもの、不必要なものを買ったり、売ったりしながら、心を育てていくための店らしい。
よくわからなかったけれど、話しを聞いているうちに、それなら、と思って心を買ってみることにした。
「まいどありー」
私が買ったのは、人の気持ちを感じる心であった。
「どうしようもなくなったら、売りにおいで。ただ、そのときにこちらが買い取れるかどうかはわからない。気をつけてね」
どうにも老人とは思えない軽快な声色に、何故だか怖さを覚えながら頭を下げる。それはほとんど無意識に行っていた。
何にも変わったところはない。何にも、変わらない。
と、思っていたのも束の間、急に何か、何かしめつけられるような苦しいものが胸の中をしめる。これはいったい、なんであろう。
周りをよく見ると、泣きながらうずくまっている子どもの姿が見える。私はその子に近づいて、話しかけた。
「どうしたの?」
子どもは涙で腫らした目を私に向けながら、小さく、迷子になったの、と漏らした。私はその子の涙が胸に沁みこんでいくようで、いてもたってもいられなくなった。
何だろう、何だろう、この気持ちは。
これまでの私では考えられなかった感覚に、放っておくこともできず、一緒にひとまず交番に向かった。
「ありがとう、おねえちゃん」
そう言って泣いた笑顔を見せるその子に見送られて、ほわほわした何かが、こみあがってくるのがわかった。
こんなことを感じたのは初めてであった。
それからも、さまざまな感情が脳に、胸に、出会うたびに湧いてきては、しだいに苦しくなってきた。
感情を刺激されることは、それだけそれに振り回されることでもあり、これまでのように落ちついた生活が、できなくなるのではないか、という危惧があった。
そうして、今、私は、まさしく、落ちつかない状態にあった。心なんて持たなければ、こんなことにはならなかったのだろう。つまり、私は、これまで、心を持っていなかったのだろうか?
心売りの老人に会いに行こうとしたけれど、そこにはもう何もなかった。私は途方に暮れたまま、一生、こうして、感情に振り回されなければいけないのか、と思うと、気持ちがどんどん、沈みこんでしまった。
他の人も、同じなのだろうか?
同じように、感情を刺激されながら、こんな気持ちを抱いているのだろうか。
私はこれまで私がしてきたことを思いながら、震えている胸に、気づいていた。