十六夜に出会う
夜の公園に行きたくて、家を出た。
一番近くの公園は、坂を登り切ってから少し歩いたところにある。高台の、ブランコと滑り台、そしてベンチがこじんまりとある小さな公園だ。
坂はなかなかに急勾配で、自転車で行こうものなら相当厳しいと思う。男の、学生だろうか。がんばって漕いでいる姿を見て、思わず応援していたことがある。
一応、目的を持って夜の公園までわざわざ出向こうとしているが、たいそうな理由があるわけではないーーただ十六夜の月が見たかっただけだ。
高台だけあって空に邪魔なものはなく、大きな木々が空を覆っているところがあるものの、それぐらいなもので、それさえ避ければいいだけの話しであった。
夜の公園には、私の他にひとり、ベンチに座ってぼぅと空を眺めている青年がいた。
私はその方を一目見ると、ほどよいところで立ち止まり、空を眺める。
十六夜の月はときおり多少の雲に覆われることもあったが、おおむね何も遮るものがなく、美しく輝く姿が見えた。
その、ときおり雲に覆われる姿も、雲のかかりが朧に映り、それはそれで見ていて心地よかった。
「月がきれいですね」
いつの間にかに隣にきた青年が、私に声をかけてきた。
私は目をまん丸として改めてその青年を見遣ると、そうね、とぽつりつぶやいた。
「十六夜の月って、欠けていくさみしさみたいなものが感じられますけれど、その分、なんだか美しい心地に包みこまれるようですね」
ていねいな言葉遣いに、ほんの少しばかり警戒心を持って、月を見る。
青年は慌てて、
「ごめんなさい、いきなり。つい、きれいだな、って思って。えっと、その……誰かと共有したかったのかも」
頭を下げる。
「……いえ、大丈夫。本当、きれいだから、その気持ちもわかるわ」
沈黙が、流れた。
初めから接点もなく、ひとりであるならば、感じることなどない、沈黙。誰かといるときには、なんでこんなことを感じるのだろう。
見知らぬ青年のままならーーいや、今でも見知らぬ、という点では変わらないけれど、会話をした時点で接点は生まれ、沈黙はそこに存在してしまう。
けれど
その沈黙、静寂が生み出す静けさは、月や星を見るこの夜空の鑑賞に味わいを加え、より鮮明に見られるような気持ちがした。
どれほどの時が流れたであろう。ひとりでは感じることのなかった、この、時の流れ。私は自然に青年を見やると、青年は私のほうを見つめていた。
「こんな時間、久しぶりです。心地いいですね。とても、うれしいです」
風が爽やかに頬を通ると、どことなく熱を覚える、気がする。
「……私も、そう思う」
かろうじてそれだけ伝えられると、目を逸らすように空を見上げ、何も見ていないことに気がつく。いや、正確には、十六夜の月が心に何か、その想いを私の心に降ろしてくるような、そんな心地があった。
瞳を閉じて、意を決して青年を見る。
視線を合わせると、青年は私をしっかり見据え、真剣な眼差しで、
「また、会えませんか? 十六夜の月の空の下で」
驚きを隠せず、彼を見つめる私の心が少しばかり変化していることを、私は見逃せなかった。ほんの、少し、興味、ではあるけれど。
かろうじて、言葉を返した後に見上げた空は、変わらず十六夜の月が浮いている。その心が降りてくるような心地の中で、少なくても私も、青年も、欠けた気持ちが一歩満ちたような、そんな心持ちがしていたことは、聞かなくてもわかっていた。
十六夜の月は、満月と遜色なく輝いては、ほんの少しばかりかけているのも見てとれる。
私はその差異に気がつきながら、満月を見つめるような心地で空を見上げていることに、ふと、気がついた。
そうして、私は、その月を眺めながら、その先にある青年の眼差しをたしかに感じ、自然と、いつの間にか、青年のほうに視線を向けていることに気がつく。そうして意識して見る、彼の顔は、私のそんな困惑を見てとったのか、満面の笑みを浮かべていた。
その、遮るもののない、満ち足りたものを眺めているうちに、月が降りてきてーーいや、私が宇宙にのぼったのかもしれない、目の前に忽然と月が現れた。そうして、
十六夜の、欠けた想いが私の心にくっきりと映り、流れこんできたのも束の間、その満ち足りたものが私の心から飛び出すと、月に飲まれ、きらめいては、完全なるものに成ったのを感じた。
私はその光景を見つめながら、年甲斐もなく ふわふわ 気持ちが浮かんでいるのを実感し、胸に手を当てる。
月に手を伸ばし、その場で小躍りしてしまいそうな心地の中、青年は同じようにそばで月に手を伸ばし、しゅっと、二人で空を切ると、満ち足りたような笑みが溢れて、そらに、のぼっていくのが、見えた。