普通とは何を基準にして、かたられているものだろう
普通、って、何だろう。
どのくらい前だったか、そんなことを考えたことがある。
普通、ふつう、とは?
お前は普通じゃない
普通のことは嫌い
普通じゃつまらないから
それって、普通だよね
他にもきっと、いろいろな表現で使われているに違いない。
普通、当たり前、一般的、どれも似たような意味で、おそらくニュアンスの違う言葉たち。
月並みの表現ではあるけれど、視点を変えてみるだけで、それは恵まれているかもしれないし、それは貧しいのかもしれない。同じことでも、立ち位置によってずいぶんと違うのだろう。けれど、それは自分では意外と気がつかない。
そして、気がついた、と思いこんで、何かと比較し、自分の立ち位置を確認してしまう。それは、基準をどこに持っていったものなのだろう。
おそらく、平均化された位置から見るものが「一般的」という意味からでは一番普通の意味としては近いものだと思う。
しかし、それは、はたして、普通なのだろうか?
普通、という言葉が持つ意味ーー正確には「普通」という言葉が内包しているイメージとはおそらく、とても「つまらない ありふれた」ものなのだろう。
ただ、普通とは、本当につまらない、ありふれたものなのだろうか。
昨今、SNSの普及によって、様々なものが様々な形で現れては消え、評価されていく。
それは、ひと昔前なら当たり前のことだったかもしれないもの、ひと昔前には存在しなかったもの、ひと昔前では評価されていたもの、かもしれない。
正確な知識がなく、感性がなく、教養がなく、感覚がなく、ても、それを評価できてしまう現代。
人によってはありふれたものでも、見る人によっては珍しいものになりうる。
それでは、やはり、普通とは?
外側から見た上での、普通、という基準は、とてもとても難しい概念だと思う。ある人にとっては普通のことでも、ある人にとっては普通ではないかもしれないから。
しかし、内側から見たときはどうだろう。自分にとっての普通、それなら、感覚として理解しやすいものではないだろうか。なら、普通、というものはあくまで、自分を基準にしたもの以外には難しいのではないだろうか。
私にとって、ニュートラルな状態。それは、普通なのだと思う。それはあくまで「自分」にとって。
相手から見て珍しくても、ありふれていても、おかしくても、ずれていたとしても、自分にとっては当たり前のことなら、それは普通なのだろう。
普通ではつまらない、も。自分にとってそれはもう当たり前にできることだから、新しい表現をしたい、という意味で伝わるものである。
それは本当にその意味で使っているのかは、わからないし、自分にとって当たり前のことでも「普通じゃない」ことをしたい人もいると思う。
反対に、普通でないこと、に苦しんでいる人もいる。普通ではないことに「なぜ」と悩んだり、普通にできないことに不安を覚えたり。普通、ふつう……。
本当はきっと、基準なんて存在しないもの。
けれど、それを追い求めてしまう人。それでは満足できない人。
誰かの基準を、みんなの基準を、誰かの価値観を、みんなの価値観を。
そんな誰かの、そんなみんなの、当たり前だと思いこんでしまう、そのまやかしを「確かな」ものだと信じて、かえって見失ってしまう。
けれど、そのまやかしに縋りたくなる不確かな輪郭も、自分がここに確かにいるという証明となる縁も、私はどちらかといえば、わかる気もする。
それがわからなくなること、「誰か」「みんな」と違うのではないか、という恐怖にも似た感情。
本当は、自分であることが一番、普通なのだと思う、けれど。普通ではない、ということはつまり、自分ではないこと。自分のニュートラルではない、という状態。なのだと。
そんな、複雑な、基準なんてどこにも存在しない、言葉。
普通をかたる
普通って、なんて、難しいものなのだろう、と。
おもう。