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求められていること、いないこと

 私が今、ここで求められていることは何だろう。

 ふいにそんなことが頭に浮かんでくると、突然空が雲に覆われていくように、暗く、翳りが光をとざし、地の獄に落とされたみたいに抜け出せない思考が巡り出した。

 それは、そんな言葉がもたげてきたのは突然かもしれないが、たぶんそんなことはずっと感じていたのだろう。そのあまりの速さについてもいけず、困惑もしているのだけれど。

 しかし、慣れてきたら意外と暗いところでも見えてくるように、すんなり地に足をつけてそこに向かうことができた。

 私が今、ここで求められていること。

 逆に言えば、ここでは求められていないことは、何か。

 それは、何も私だけではない。その人その人によって、求めているもの、いないものはきっと違う。

 では、私は? 私の場合は、何だろう。

 人によって得手不得手がある以上、上のものからしたらば、それに合わせて適材適所に割り振ることが妥当だとも思うけれど、そこしかできない、というよりもオールマイティを目指しているのであれば、あえて苦手なところでも挑戦させていくであろう。

 誰でも、どこでも、何でも、できる。

 私からすればそんなもの、幻想に違いないのだけれど。

 ただ、たしかに、その人しかできない、となってしまうと、先にはつながらない。その人がいなくなった途端に切れてしまう。だからこそ、誰でもできる、というのは必要にも思うし、それができるように教育するのもわかる。

 けれど、誰でもいいなら私ではなくてもいいではないか、という気持ちもある。そんなもの、ただの歯車であって、私ではない。もちろん、同じようなことをしつつアレンジするのもまたひとつだと思うが、それなら、その人しかできない、やらない、に等しい。

 そんな矛盾した考えが、私の中には芽生えている。どちらも、わかるからだ。

 個人的には、その人しかできないかもしれないけれど、そのとき集まったその人たちの能力を絡み合わせて、おもしろい絵ができあがれば、なんていう気持ちがある。けれど、企業側からしたらそんなもの求めていないのかもしれない。そういう人たちはずっとここにはいないであろう、から。

 私は私で、現場に顔を出しすぎてしまっているのだろう。取引先やスタッフとの打ち合わせには必ず参加しているし、つい細かく指示を出したり、自分でやってしまったり……。以前、そんなことを上司に言われたこともある。

「間宮さんさ、もう少しね、ほら、部下を頼らないと」

 内心、そんなことを言われても、と思いながらも「はい」とすなおに返事をし、その場を離れてから改めて、そんなこと言われても、とほんの小さく口にする。

 それは小さなできごとだったかもしれない。けれど、確実に根を張り、今まさに芽吹いてしまった。

 私が今、ここで求められていること、いないこと。

 あえて、私に求めているもの、いないもの。

 そんなものに縛られて、地の獄に幽閉された私は、そんなものすら振り払えずに、こうして限られたところをさまよっている。

いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。