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「善い大人」になりたい人間による、22歳の抱負。

お久しぶりです、なしなしです。

先月末に誕生日を迎えまして、22歳になりました。

これまで誰かに宣言してきた訳では無いのですが、20歳を迎えたあたりから毎年誕生日付近で「〇歳の抱負」を設定するようにしています。

確か20歳の時は「バスの運転手さんやレジにいる店員さんに『ありがとうございました』と必ず言えるようにする」でした。
それまでも言ってはいたのですが、改めて意識することで言い忘れないようになりました。

21歳の抱負は「飲食店を出る時に『ご馳走様でした』と言えるようになる」でした。
ファーストフード店や先にお会計を済ませてしまうお店では難しいですが、8割方言えるようになりました。

そもそもどうしてこんな抱負を設定するようになったかと言いますと、大学の友達とご飯を食べに行ったことがきっかけでした。

その友達はお会計が終わると「ご馳走様でした!」と店員さんに元気よく挨拶し、店を後にしました。

今まで飲食店を出る時に「ご馳走様」と言っているのを見たのは親くらいで、同じ年齢の人がそういう挨拶をしているのは初めて見ました。

その姿を見て、この人は本当に人間的に成熟した人なんだなと感心したのです。気弱で挨拶も最低限しかしてこなかった私ではありますが、これからは自分も彼女のように気持ちよく挨拶できる大人になりたいと憧れました。

ただ、1度も言ったことのない「ご馳走様でした」を突然言い出すのはハードルが高かったので、よく使うバスで降車時に「ありがとうございました」と挨拶することを徹底することから始めることにしたのです。

そんなこんなで2年ほどこの挨拶運動を続けているうちに、「善い大人」になりたいなと漠然と考え始めるようになりました。

急に抽象的な言い方をしましたが、私のイメージする「善い大人」は気持ちよく挨拶する人です。
あと「善い大人」は選挙にはきちんと行くでしょうし(私はまたしても不在者投票の用紙を申請するのが面倒で諦めかけています)、きちんと部屋は掃除するでしょうし、洗濯も洗い物も溜めないでしょうし、諸々の定期検診も忘れず行くでしょう。

それ以外にも「善い大人」となる要素は沢山あるとは思うのですが、毎年誕生日を迎える度に少しずつ取り入れていって、自分に負荷をかけすぎない程度に「善い大人」を目指していきたいのです。

さて、ここからが本題です。誕生日を迎える少し前から22歳の抱負を考えていましたが、なかなか良い抱負がありませんでした。

そんな中、今日4年ぶりに眼科に行きました。コンタクト常用者とは思えない愚行ですね。

眼科はかなり時間が掛かりましたが、そもそも定期検診を怠らなければ度数の変更やコンタクトの種類の変更を一気に行わずに済んだのです。それもこれも行くのが面倒とか眼科怖いと言い訳し避け続けた結果なのです。
(ちなみに同じくらい避け続けている事として、子宮頸がんの検診があります)

本当に、行ってさえしまえば自分の健康に対する安心と検診に行った達成感が得られてお得なくらいなのに、どうして見て見ぬふりをしてしまうんでしょうね……。

この経験から、自分の体を健やかに保てる善い大人になるため

めんどくさがらずに定期検診に行く

これを22歳の抱負としようと思います。

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