ハイパー性悪説はどういうつもり?
今読んでいる本にこのようなことが書かれていました。
スピードが命のグーグルでは、人を疑うことさえコストととらえられています。 相手の言っていることをいちいち疑って、確認を取っていたら、時間とコストがかかってしまって、スピーディな仕事はできません。だから、相手がグーグルの価値観を共有している限り、その人を信じることが前提となっています。これをぼくは「ハイパー性善説」と呼んでいます。
『どこでも誰とでも働ける(尾原和啓)』
いいですね。ハイパー性善説!これ、ほんと共感します。「ほんとに大丈夫なの?」とか「念のため」とか、ほんとうんざりすることが多くて。
「リスク管理」と言えば聞こえはいいですけど、だいたいこういうのは、「怒られないために」が根っこにありますね。いやだなぁ。ハイパー性悪説。まさに日本的って感じで。脱却したいものです。念のため、念のため、の過剰なリスクヘッジ。
怒んないから!大丈夫!
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いつも読んでいただきありがとうございます。