息子がついに頂点に立った日曜日。
一ヶ月以上の活動禁止期間が明けて、息子の少年野球大会が、やっと再開しました。
日曜日は、春から途中で止まっていた春季大会の準決勝。勝てば、その日のうちに決勝戦も行うことになっています。
これまで、多くの大会が無くなってしまった今シーズン。息子は、「この大会は絶対に優勝する!」と言い続けてきました。
息子のポジションはピッチャー。活動休止前、最後の試合は、コントロールが定まらず、ストライクを取りにいった球を連打されました。あんなに長打を連発されたのは初めてだったかもしれません。いいところなく1-6で敗戦しました。
そんなときでした。少年団とは別で通っているベースボールスクールのコーチからピッチングフォームのレクチャーを受けることになり、フォーム改善が始まりました。
チーム活動の休止中、学校から帰ると、毎日、毎日、グラウンドの壁に向かって新しいフォームでのピッチング練習を続けました。はじめは窮屈そうでしたが、自主トレを重ねるうちに、見違えるほど、指のかかった強い球が投げられるようになりました。押し出すように見えていた手も、後ろから出るようになりました。息子にフォーム改善前の動画を見せると「こりゃ、打たれて当然だよね。はじめからボールが丸見えだもん」と笑っていました。
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日曜日。朝7時半。準決勝、プレイボール。
相手は、昨年から何度も優勝している強豪チーム。
息子の球は走っていました。バットに当てられても外野を越えることはなく、コントロールも崩れることはありませんでした。最後まで集中は途切れることなく、相手の強力打線を封じ込め、2-0完封勝利。決勝進出となりました。
ここで満足してはいけません。昨年の秋はここで気が抜けて準優勝に終わりました。
決勝戦は14時から。
準決勝終了後、ホームグラウンドに戻り、のんびりと調整。昼食を食べて、決勝に向かいます。
決勝の相手は、活動休止前、息子を打ち崩し6-1でうちに勝利した強豪チームになったと連絡が入りました。個人的なリベンジを果たす機会も与えられました。
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決勝戦への移動前、監督とコーチが話しています。決勝戦のピッチャーをどうするか。
「アドレナリン出てるので、連投で行きましょう」
コーチが監督に言っているのが聞こえました。親としても、いけるところまで息子に投げさせてほしいと思っていましたので、ありがたい覚悟でした。
コーチの言葉におされ、息子が決勝のマウンドにも上がることになりました。
今大会、時間制限はありますが、球数制限はありません。だいたい、少年野球の球数制限は「1日70球」と言われています。息子は、朝の準決勝で、すでに79球を投げていました。私も妻も、さすがに決勝は、はじめの1,2回、もしくは、少しでも崩れたら交代だろうと思っていました。
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14時。決勝戦、プレイボール。
息子のチームは後攻。息子はマウンドからゲームがスタートしました。
球威は悪くありません。が、なかなか、ストライクが入りません。先頭を二人、フォアボールで塁に出す苦しい展開。
「疲れが出てるのかなぁ」
隣で、妻が祈るようなポーズで心配しながらも
「守ってくれるよ~!大丈夫!楽に投げな~」
叫びます。
バシン!
バシン!
力強い球を投げる息子。
少しずつコントロールは戻ってきました。
送りバント、スクイズで失点したものの、1点でしのぎ切りました。
その裏、2点取って逆転。次の回には息子も打って4得点。6-1。
そこから息子のピッチングは復活。力強い球を投げ込み、ヒットを与えません。疲れているだろうと思いますが、最後まで集中力を切らすことはありませんでした。
決勝戦も79球。
6-1。完投勝利。
優勝。
閉会式。
大会の個人賞が発表されました。
敢闘賞、殊勲賞、優秀選手賞。
息子の名前は呼ばれませんでした。
最後に
最優秀選手賞の発表で、息子の名前は呼ばれました。
狙っていた優勝と、最優秀選手賞。
最高の形で、春季大会は幕を下ろしました。
本来であれば、この大会の優勝チームは、北海道大会や札幌市内の選抜大会に進むはずでした。が、それらは全て無くなりました。
残念ではありますが、この春季大会が秋まで延期されたからこそ勝ち取れた栄冠だったようにも感じます。春は何人かケガで出場できないメンバーがいましたし、息子も肘を痛めていました。ケガを経て、失敗を乗り越え、バッティングもピッチングも気づきを得て、改良を重ねて、ここまできました。山あり谷あり。まだまだこれからですが、息子の自信につながってくれるといいなと思っています。
息子からは、今年も最高の誕生日プレゼントをもらいました。
いつも読んでいただきありがとうございます。