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Photo by
daraz
終わりがわかる前から濃くできないか。
喪主として母の葬儀を無事執り行いました。
ひとまず、今は、肩の荷が下りた、ホッとした、という気持ちになっています。
医師の宣告により、お別れするのが近いとわかってから、母とは出来るだけそばにいて、一緒の時間を過ごしました。最期を看取ることもできましたので、今、後悔はありません。
当然、"死"は悲しいものです。
悲しいですし、出来れば一日でも長くそれに遭遇せずに過ごしていたいと思うものです。ですが、誰にだって"死"は来ます。誰にだって来ますから『その日まで生きる』ということなのですが、『その日』がいつなのかは、誰にもわかりません。だから、わかった途端に、『その終わり』まで、なんとか、出来るだけ濃くしようとしますね。
いつ終わるかもわからないときから、濃くできたら、と思います。ありきたりだけど、今、そう感じています。
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