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校長室通信HAPPINESS ~「授業の始め方」で主体性を育てる

「授業の始め方」、2つのパターン

 小学校での「授業の始め方」の2つのパターンを紹介します(あくまでもイメージです)。

A: チャイムが鳴ると日直が「気をつけ!」と号令。姿勢を正して前を向く子どもたち。しかし、ごそごそ動く子、おしゃべりをやめない子が数人。日直はきょろきょろと周りを見回して、号令に従わない子を見つけると、「○○くん、前を向いてください!」と厳しく注意。これを数回繰り返す。全員が静かになったのを確認して、「これから○時間目の授業を始めます。礼!」と元気よく号令。「よろしくお願いしまーす!!」と全員が声を合わせて一斉に礼。先生が「はい、ではこの前の続きです。教科書の35ページを開いて」…授業が始まった。

B: 授業開始のチャイム。鳴り終わるのを待たずに、子どもたちはワイワイと机を動かして話し合いを開始。先生は自席に座ったまま、遠くから子どもたちを観ている。話し合いが進む中、誰かが突然「ちょっと聞いてください…。僕たちの班では2つの意見が出てもめているんですけど、みんなはどう思いますか?」と問題提起。子どもたちは自分たちの話し合いを一旦止めて、提起された問題に対して自分の考えや意見を言う。指名なしで自由に発言しているが、誰かが話し始めればみんながそれに耳を傾ける。勝手に発言することはない。先生はその間、黒板に子どもたちの意見をメモしながら、それを矢印で結んだり、四角で囲んだりしながら整理しているだけ。何も言わない、教えない……。

 Aでは、子どもたちの「学習する」という行動のための「認知・判断」は日直や教師がしています。ということは、行動の主体は自分ではなく他人ということになります。
 それに対してBは、多くの子どもたちが「何を学習するか」「どう学習するか」を自分たちで認知し、判断して行動を起こしています。さらに、友だちから出された課題に対して、みんなが主体的に考えています
 「B」を読んで、「これは理想だろう」「普通の小学生には無理」「先生が何も教えないで、こんなふうに授業は進まない」と、批判的且つ否定的な意見を持つ人もいそうですが、これに近い姿が実際に秋田県の小学校で見られるそうです。因みに秋田県は2019年の学力状況調査で、正答率が全国でトップでした。

学校の「形骸化」がもたらす罪

 A、Bどちらが子どもたちの「主体性」を育てるかは明白です。さらに秋田県の学力の高さを考えると、「主体性は子どもを賢くする」という特典付きです。にもかかわらず、日本中の教室で行われている「授業の始め方」の主流はAです。たぶんこれは百年以上変わっていません。
 海外にある大学の卒業式でのエピソードです。学長が式辞を述べるために壇上に上がっても、おしゃべりをいっこうにやめない留学生のグループがありました。それがなんと「礼儀正しい」とされてきた日本からの留学生の集団でした。長い学校教育の中で、認知・判断を他人に委ねてしまう「号令」という習慣は、それがなくても、自分の意思で行動を決定することが当たり前の社会では、大きな弊害となって表れてしまう一例です。
 「日本の学校教育」の中には、こんなふうに、子どもの主体性をスポイルしてしまうような「形骸化」されたきまりや習慣がたくさん残っています。これが問題です。もしかすると「形骸化」を捨てきれない学校の教育は、日本社会からなかなか払拭されないパワハラや人権侵害などの問題と無関係ではないのかもしれません。もちろんそれは今の若い教師たちの責任ではありません。若い教師たちもまた、我々世代の教師にそうやって教育されてきたのですから…。若い教師たちが、ここまでの自分の人生を「成功」と感じていればいるほど、自分たちが受けてきた「形骸化教育」を断ち切ることはできないはずです。

教師に必要なのは、未来を見据える「先見の明」

 しかし、世の中は大きく変化しています。「予測不能な社会」の中で、グローバル化は進み、価値観の多様化がどんどん広がっています。子どもたちがそんな世の中をしっかりと生きていくためには、どうあったって「主体性」は必須条件です。そのためには、学校にあるたくさんの「形骸化」を少しずつ剥がしていくしか道はありません。今の教師に必要なのは、子どもを正しく導く「先見の明」です。
 それには「着眼大局着手小局」の精神が大切です。まずは「授業の始まり」の場面で、子どもたち自身に次の行動を認知・判断させていく…そんな些細な授業改善から始めてみてはいかがでしょう。

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