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Leon Russell [ Same ] Shelter SHF-1001

スワンプロックを語るにはやはり最重要人物のこの人。レオンラッセルのファーストです。

私がレオンを知ったのはジョージのバングラデシュコンサート(以下バングラ)。LPが先か映画が先かは忘れましたけど。

カーペンターズのカバーで有名曲は知っていたので「この人の声も」カレンカーペンターのような綺麗な声なんだろうと思っていました。そして初めてこの人の声を聞いた時の驚きはたぶん凄かったと思います。

ある評論家の紹介文にありましたが、「いきなり首根っこ捕まえられて泥沼に引きづり込めらるような声」と書いてありました。まさに的を得たドロドロな声の表現です。

かなりリングウェアが入っていますがシェルターのオリジナルです。ソロデビュー盤としてはかなりのインパクトあるジャケ。

因みに日本盤はLeon Russellの文字の大きさがかなり違います。

左USオリジナル、右日本盤。

裏ジャケ、このアルバムはイギリスで録音され、ゲストにはクラプトン、ジョージ、リンゴ、クラウスボアマン、チャーリーウッツ、ビルワイマン、スティーブウィンウッド、など、スワンプ人脈からはジムゴードンくらいで起用はそれほど目立っていません。

僕が思うにレオンはかなりの策士であったと思います、マークベノとのユニット「アサイラムクワイヤー」を不発で終えますが、その後デラニー&ボニーのフレンズに参加、イギリスのプロデューサー、デニーコーデルとここで親しくなり(たぶん)デニーからジョーコッカーのプロデュースの依頼され、レオンの作品である「デルタレディー」をヒットさせます。

そして、フレンズからスワンプ軍団を引き抜きジョーとアメリカツアーに出ます(マッドドック&イングリッシュマン)。

レオンはこのツアーでまとめ役を行い、さらに大量のメンバーも追加し、ジョーコッカーのUSツアーを乗っ取った形になり「リーダーは俺(レオン)でジョーは歌わせてやってる」ようなイメージで8週間のツアーを終えます。レオンはジョーには「お前の給料だ、ほいっ」て感じで僅か862$の小切手を渡しただけなのです。
(CDの解説に書いてありました)

レオンはこのツアーで自分の存在をアメリカ中で広めこのソロアルバムを発表するのです。(たぶんそーだと思う)

やっぱ策士というか世渡りが上手い、というかエゲツない。

そして、さらに次にジョージのバングラにも出演しここでもスワンプ系ミュージシャンをプロデュース。

歴史的な名場面。

自分のコーナーでは3曲の組曲で大爆発、ボブディランのコーナーではジョージとともにワンマイクでボブにコーラスを付けるという、破格の扱いで一気に有名になっていくのです。この人、いっそのこと政治家を目指せば良かったかもですねー(笑)

My Favorite Songs

A Song For You

いきなり流れるようなピアノのイントロ、これはロックのアルバムなのか?と思った瞬間あの声が・・・ なんというオープニングなんだ(驚) いきなり金縛りにあいそうになる。

Dixie Lullaby

これもレオンの代表曲となっていく曲、スライドはジョージではないだろうか?

Hummingbird

アコのドロドロしたイントロから、またドロドロの声(当たり前だけど)1曲目で引きづりこまれ、ここで永遠に逃れる事が出来なくなりそうになる(笑)  かなり後期の映像です。


Delta Lady

ジョーコッカーがヒットさせた曲、ジョーのバージョンも同じ系の声なので同じように 聞こえる(笑)  因みにこのレディはリタクーリッジの事か?

Old Masters

アメリカ国家のメロディに乗せてディランの「戦争の親玉」を歌っています。ディランからクレームがありセカンドプレスからは外されます。

Label

シェルターのオリジナルSマーク。マトは両面RE-2のファーストプレス。

この後、最高傑作のセカンドアルバムLeon Russell and the Shelter People、非常に売れたサードアルバムのCarneyを発表、3枚組のライブと怒涛のドロドロ快進撃を続けますがシェルターを離れる1974年くらいにスワンプも下火になりレオンの怪人パワーも下がっていくような感じですね。

くどいようですが、やはりここらで政治家に変わるべきだったかも・・・笑

レオンの作品は「Stop All  That Jazz」のシエルター6枚目までしか持っていません。
その後のカントリーとか、夫婦のデュエットアルバムは何度も出会いましたが買う気になれず。どんなふうに変わっていったのか知ることも拒絶してます。

まぁこの辺りまで集めればいいかな。という感じです。




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