「誰もが師」聖人無常師
聖人には常の師無し
―聖人無常師―
[原文](韓愈 師說)
聖人無常師。
[書き下し文]
聖人には常の師無し。
[原文の語訳]
聖人には常に師とする人はいない。
[解釈]
できる人は学ぶにあたって、特定の師匠につかずあらゆる人から学んだということです。「君子に常師なし(論語 子張篇第十九)」とあります。
トップは常に現場を足を運んで、声を聞くことで学んだり気付くことをするのです。
人には長短所、得手不得手があります。だから特定の一人を師と仰いでも、足りないところもでてきます。良いものに触れないと良さがわかりませんから他に求める必要があります。短所を反面教師にするにしても、長所を知らなければ改善のしようがないのです。
読書をしても一冊の中に自分にとって有益な部分とそうでない部分があるものです。唯一冊を座右の書として熟読するのも良いですが、様々な考えを吸収するには多読することも大事です。それを新聞記事にしても、各社の考え方を比較できる面では同じではないでしょうか。
また逆に自分が誰かの師となる可能性もあります。それが正しき師なのか反面教師となるのか。意識するだけでも違ってくるのではないでしょうか。
子どもは商店街に出かければ出会う人がすべてが師だったのです。今はなかなかそうはいきませんが、代わりに憧れる人を何人もってもよいですよね。