「自分も一部」物我一理
物我は一理なり
―物我一理―
[原文](近思録 致知類)
物我一理。
[書き下し文]
物我は一理なり。
[原文の語訳]
自分と他の万物とはもともとは別なものではなく天理と人性は同じものである。
[解釈]
個人としての我は万物・森羅万象と同一物であると。自分と他物が同じということは、客観と主観も1つになることで自他の境目のない状態ということですね。
人や物、何事に対しても思いやりをもつ、仕事やスポーツ、勉強にしても道具を「体の一部」として大切にするというのは、この観点から言えそうですね。実際は「自分も道具も、全てはいま(現在)を形成する一部」なのでしょう。
「自分は生かされている」ということでもあると考えられますね。
周り(他人)から見た「他人」である自分がどう見えるかを意識しながら行動すると、言動が変わってきそうです。
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