マクロ経済から見た太平洋戦争

森本忠夫の本書は膨大な統計数字を駆使して太平洋戦争を分析した力作である。

アメリカの生産力と日本のそれを比較した数字が延々と続くあたりは、読むだけで切なくなる。これほどの大敵とどうして戦ったのか?という思いを整理できない。「已むに已まれぬ大和魂」で一か八かの賭けに突き進んだ高級指導者たちの行動が、いかにも愚かで虚しいとの読後感が残るばかりである。 だが、量的要因だけではない問題もあった。ミッドウエイ海戦では日本海軍の戦力はアメリカ艦隊をはるかに上回っていたが惨敗した。通説となっているような「物量がモノを言った」のではなかった。イギリスは1938年の段階で航空戦力のボトルネックは搭乗員にあると見抜いて、年間1600名養成から段階的に20000名まで引き上げることを決めた。1942年には英連邦全体で実に60000名を新たに養成した。これが、ドイツ空軍との本土上空での“バトル・オブ・ブリテン”における勝利をもたらす主因となった。同時期1941年の日本の養成搭乗員は陸海合わせて3000名だった。(我が国の製造現場での技術者養成は、これに似たところがある。普通の中小製造業は、言われたことを言われた通りに作ることに汲々として、技術を戦略的に増強する考えを、ほとんど持っていない。意外な盲点であるが、残念ながら事実である)。  

真珠湾前夜、日本は泥沼の日中戦争から抜け出せないままに、兵も武器弾薬も生産力も消耗し、国は疲弊しきっていた。いわばヘトヘトになりながら対米攻撃に出たのだから、ボクシングに喩えると10回を戦ってふらふらになったところでもう一人の別の相手と打ちあうようなものだった。リングには中国人とアメリカ人ボクサーが2人いて、3人目のソ連人ボクサーが、こちらがダウンするのをじっと待っていたのである。ボコボコにやられてロープに凭れたところをソ連が強烈なボディを打ってきた。どうしてこういう状況に落ち込んでしまったのだろう?著者がさらりと指摘している箇所に目が行った。それは、日中戦争が果てしなく続いた主因は、当初の日本側の中国蔑視だと述べている。「シナ兵は弱いから初めに強くせめればすぐに逃げ出す」という経験則に捉われて作戦を立て、従って「この戦は○○までにはカタがつく」という制限時間を前提にして物資の調達や輸送計画を決めたが、相手は逃げないし降伏しないし、主要都市を陥落させてもいっこうに弱らなかった。「シナという国は心臓を突いても死なない。心臓はいくらでもある」という警告の通りの展開になり、逐次戦線を拡大して行かざるを得なかった。つまり認識の誤りがすべての誤算の始まりだった。  

現在はどうかというと、ことごとに神経にさわる振る舞いには辟易するが(中国を理想化してきた風潮の反動もあって)、しようがない国、どうにもデタラメな国民という軽蔑が深く日本人の中に生まれている。だが、かの国がそれなりの力を持っていることは、認めなければならない。軽蔑は無礼を生み、無礼は憎悪を育てる。我々日本人が中国を軽蔑するように、彼らも侮日という非論理的な情動にのめり込んでいる。このような侮辱の応酬は、もしかしたら相手のペースかもしれず、馬鹿正直に反応していると、「泥沼」に入り込んで身動きがとれなくなるのではなかろうか?「いつまでやるんだ!」とイラついていると、相手は超長期の対応が得意だから、こちらがくたびれてきて妥協する羽目になる。感情的な対応でなく、事実を冷静に見て、80年前の歴史の教訓を生かして、新たな対処法を持たなければならないと思う。

#太平洋戦争 #戦後70年 #日中関係 #マクロ経済

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