人生の舵を切る瞬間に間違ってはいけないこと。|フリーランスで生きていく #6
私たちには人生の舵を切る瞬間がきっと何度かあって。
最近立て続けに、仕事を辞めて、故郷に戻るという友人に遭遇している。まさに人生の舵を切った人たち。
一人はそれから半年ほど経って久しぶりに会いにいった。
一人はこれから引っ越しをするということで会いにいった。
二人とも、すごく良い顔をしてたんだよね。
なんだろうなーーー。
この不思議なかんじ。
きっとそれまでの彼女たちの人生も豊かに充実したものであって、楽しく過ごしていたと思うし、私の目にもそのように映っていた。
だから決断の話を聞いたときには多少の驚きもあったし、大丈夫?という余計なお節介もふんわり生じたものである。
けれど、その顔を見ただけでね、
「あ、この人はこれからもっと良い方向にいくんだな。そうやって自分で舵を切ったんだな。」
と、自然と思わされた。
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進学、転職、引越し、退職、出会い、別れ。
人生の様々な場面で、私たちは決断をし、自分の船の舵を切っていく。
このときに忘れちゃいけないのは、「自分で」ということだと強く思う。
親に言われたから。
先生に言われたから。
友達もみんなやってるから。
上司に勧められたから。
世間がそうだから。
そういうところに重心を預けてしまうと、何かうまくいかなくなったとき、迷いが生じたときにとっても脆い。
誰かを理由にしていると、誰かを言い訳にしがち。
乱暴な言い方をすれば、「自分のケツは自分で拭けよ。」ということで、その覚悟ができていないなら、舵なんて切れっこない。
迷いが生じているということは、まだそのときではないのかもしれないい、準備が足りていないだけかもしれない。
「そのとき」は、あなたが真剣にあなたの人生と向き合っていれば、くるべきときにちゃんとくるし、そうやって動いたならば、たとえ船がちょっと壊れたり、進路を一旦間違えたとしても、きっとどこかに辿り着くことはできる。船を直してくれる人や、一緒に舵を握ってくれる人が現れるかもしれないしね。
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私の場合は、やっぱり会社を辞めるときと、独立したときだったかなあと思う。
不思議なもので、
そのどちらもが「よっしゃやってやんよ!!」という気張ったものではなく、「あ、今なんだろうなー」というちょっとした気づきのようなものであったこと。
清水の舞台から飛び降りるのではなく、ちょっと橋を渡って対岸に足を踏み入れたくらいの感覚。
まぁよくよく考えたら清水の舞台を飛び降りるなんてそんなリスキーなことは決断というより暴挙なわけで笑。人生の選択をするということは、ギャンブルすることとは違うのでね。
自分で決めるということ。
それが勢いに任せたやけくそな一手ではなく、
これまでの道、これからの道と繋がっていると思える静かな確信なのかどうかということ。
それが大切なんだろうなと思います。
彼女たちの人生が益々充実したものとして、穏やかに積み重なっていきますようにと、願わずにはいられない。
そしてこの先私にもまたそういうタイミングはくるのかもしれない。
そのときに迷いなく決断できるように、そう自分自身にも願っている。
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