南方熊楠から学ぶ「留学の枠を超えた海外生活」
南方熊楠さんをご存じだろうか?
和歌山県が生んだ「博物学の巨星」とも「孤高の科学者」とも言われている人物で、私が心から尊敬する型破りな人生の先輩だ。
先日訪れた「南方熊楠記念館」は和歌山県白浜の半島が突き出たところ、番所山という眺めがいい場所にある。そこで、南方熊楠さんの人生を知ることができる。
子ども時代から枠にはまらず探求する
博物学者の南方熊楠さんは、子どもの時から枠にはまらない人物だった。
小学生時代は学校の授業に出ずに、模写ばかりしていたらしい。
8歳で『和漢三才会図』(図入り百科事典。図に漢文で解説)を手に入れ、12歳頃までに同書と『大和木草』『本草項目』の本格的筆写を行うようになっていた。展示された模写は細部まで美しく、小さく綺麗な文字で説明が添えられていた。小学校の授業レベルは優に超えていた。
米英で14年にわたる海外生活
自らの研究のために19歳で東大を辞めて和歌山に戻りアメリカへ留学。飛行機ではなく船で渡航した時代なので、留学への志や気合が違う。南方熊楠さんは19歳から約14年間米英に滞在し、様々な言語の文献を読み、国内外で多くの論文を発表した。
20歳 1月アメリカのサンフランシスコ到着。
8月ミシガン州ランシングへ移り、州立農学校へ入学。
21歳 11月同校退学、アナーバーに移り植物採集を本格的に始める。
22歳 「日本のゲスネル(有名な博物学者)とならん」と日記に記す。
24歳 フロリダ州へ移る。中米のキューバで植物採集を続け、新種の地衣を発見。
※地衣類(ちいるい)とは、菌類(主に子嚢菌や担子菌)のうち、藻類 (主にシアノバクテリアあるいは緑藻)を共生させることで自活できるようになった生物。
25歳 9月渡英、ロンドンに到着。
26歳 科学雑誌『ネイチャー』に天文学に関する論文を発表。
28歳 大英博物館の図書閲覧を許可され秘蔵の筆写を開始。筆者ノート「ロンドン抜書」は52冊に及ぶ。
33歳 ロンドンより帰国、神戸に到着。
(南方熊楠記念館パンフレットより一部抜粋)
ロンドンでの生活は貧乏で、精神的にも大変な時期があったようだ。
帰国後は所帯を持ち、和歌山の豊かな自然の中で研究を続けた。
南方熊楠を慕った人々
ロンドンで大英博物館東洋学部長に孫文を紹介されて以来、2人は親友で、帰国の翌年に孫文が和歌山の南方熊楠に会いに来ていた。
44歳のときに民俗学で有名な柳田国男さんから手紙があり、以後文通を重ねた。
62歳のときに昭和天皇の南紀行幸の際に田辺湾「神島」にご案内。御召艦長門にて御進講し、粘菌標本110点を進献。自分の宝物である粘菌標本をプレゼントした。
生涯、フィールドを駆け巡る学者に徹し、地域の自然保護にも力を注いだ。エコロジストの先駆けとしても注目されている。
南方熊楠さんを知れる場所
社会の枠にとらわれず、自分の道を生涯突き進んだ南方熊楠さん。
彼の人生や研究に触れてみたい人は「南方熊楠記念館」がお勧め。晴れた日に行くと、海も空も緑も綺麗な最高の場所だ。
他にも、田辺市に「南方熊楠邸および南方熊楠顕彰館」がある。熊楠さんは1904年から田辺に定住し、1916年から1941年に亡くなるまでの25年間過ごした旧邸が保存、公開されている。
【南方熊楠記念館のホームページ】(白浜町)
南方熊楠記念館 – Minakata Kumagusu Museum (minakatakumagusu-kinenkan.jp)
【南方熊楠邸および南方熊楠顕彰館のホームページ】(田辺町)
南方熊楠顕彰館/南方熊楠邸/南方熊楠顕彰会/和歌山県田辺市/南方マンダラ/博物学・民俗学 (minakata.org)