ヨーロッパ企画『ドロステのはてで僕ら』感想
ヨーロッパ企画×時間
例えば、「ヨーロッパ企画が時間をテーマにした映画をつくる」という情報だけでも、クラウドファンディングによる支援に値する、と判断する人は多いと思われる。実際多かった。またたく間に100%を達成した。
代表作と呼んで差し支えない『サマータイムマシン・ブルース』も、20周年を飾った続編『サマータイムマシン・ワンスモア』も、「ヨーロッパ企画×時間」の結晶といえる。時を超えるSFとしての壮大さと、それを身近な事象へと引き寄せてくれる隣人のような親しみやすさ。その色はとっくに知っているものだったので、体重を預けて期待することができた。
タイトルは『ドロステのはてで僕ら』。予告編で登場する「ドロステ効果」という言葉から、それが造語でないことがわかるのだけれど、どことなく、今までよりもレベルアップした時間の概念が襲ってきそうな予感がする。「ファイガ」というか「メラゾーマ」というか。なんで火系なんだ。
『サマータイムマシン・ブルース』においては、飛び越える時間にかなりの振れ幅があるけれど、今回はなんと「2分間」である。画面を通してたった2分の時差でつながる世界。「タイムマシンの起動」を待つまでもなく、結果はやってくる。悩んでいる暇も、ほとんどない。
この、「見ているこちら側だけが認識しうるスピード感」が、映画をかなりスリリングなものにさせていた。長回しということもあるけれど、もしかしたらそれは、撮影現場の緊張感を半歩踏み込んで共有するようなものかもしれない。それ自体の良し悪しは置いておいても、「実際に2分後がやってくること」にその都度感動ができる。時間のイジリ方のテンポがものすごく速い。
”タイムテレビ”に出会った登場人物たちは、それを初めて目にする我々の代わりに、その身を使って実験を繰り返してくれる。半分、悪ノリと悪ふざけを交えて。思考実験的に時間をこねくり回したことがあったとしても、それを実際に目にする機会はそうそうない。それが眼前に現れるのだから、面白くないわけがない。この前、「球体の鏡に入ったらどんな景色が広がるか」という3Dモデルの実験動画を見た。それらは、見る者の興味を必ず満たしてくれる。
ヨーロッパ企画×映画
私は、映画『サマータイムマシン・ブルース』でヨーロッパ企画と出会った。その後、「もっと!」という思いから逆走ぎみに舞台に足を運んでわかったのは、そのテイストが、舞台から映画へと表現の場を移しても、なんら失われることはなかったのだ、ということだった。
ひとところに集まって会話を交わせば、「ヨーロッパ企画節」とでもいうべき味わいが空間を満たす。素性をよく知らずとも愛すべき登場人物たちがそれぞれに反応し合う様は、カフェという舞台も相まって『曲がれ!スプーン』が浮かんだ。見てるこちら側を共犯者にして、ともにジェットコースタートラブルを走り抜ける時間が、愛着を生んで、ひとつの思い出になる。
舞台上で描き出す立体感を超えた、映画という場だからこそ、より詳細に時間に殴られることができる。
ヨーロッパ企画とは何ぞや?
「時間に殴られろ。」というのが、この作品のキャッチコピーだ。しかし、観たあとの感覚からすると、「時間に刺された」という方が近いかもしれない。極限まで研ぎ澄まされた「時間」という「遊び道具」が、見事に頭を貫通していった。
映画を通して出会った私のように、この作品でヨーロッパ企画に出会った人がいたとしたら、その魅力は寸分違わず伝わるような気がしている。それだけ「今」のヨーロッパ企画の作品であるし、求めていた「らしさ」が感じられる作品だった。
これから順次全国で公開されていく『ドロステのはてで僕ら』。ぜひあなたも、時間に殴られる稀有な体験を共有してほしい。