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慢性中二病

 この世には世にも恐ろしい病気がいくつもあります。その内の一つで、人によっては不治の病である大病の一つに「中二病」というものがあります。
 ネットで「中二病」と検索したらなんともうまい表現をしている文章が見つかりました。

「中二病」とは、思春期である中学2年生頃の少年少女が取りやすい言動やエピソードなどのあるあるネタを指したスラング、用語。別名「他人とは違う俺カッコイイ病」。

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 別名の「他人とは違う俺カッコイイ病」ってところに抉られますね(致命傷)。

 私は幼少期に罹患してから未だに完治せず、いまなおその症状に苦しまられたり楽しんだりしております。
 私が中二病の発作に駆られるときは突然ヘヴィメタの曲をX(ツイッター)でシェアしたりします。意味ありげな日本語訳も一言入れたりして。

 ヘヴィメタルって中二病ホイホイなところありますよね。かくいう私もヘヴィメタル大好きです。
 私が上記のようなポスト(ツイート)をしている時は、「あ、発症してるね」と思って生温かい目で見てあげてください。その内発作は収まりますので。


 ところで、私は仏教にも「中二病ホイホイ」なところがあると思っています。
 仏教哲学は学ぼうとすると広大で、深堀りしようと思えば延々と掘っていける深さがあります。例えば大乗仏教の思想の一つである「唯識」という分野はものすごく細かく、膨大な理論があります。膨大過ぎて私は全く分かってないのですが。
 でも難しいからこそそれについて語られたらカッコいいって感じはあります。「阿頼耶識が~」とか言う人カッコいいですもんね。言ってる意味は分かりませんけど。

 そして、仏教は用語もカッコいいですよね。皆さんもご存じの「諸行無常」とかめっちゃカッコよくないですか?私の見解では、中二病患者は「無」とか「非」とかいう否定の言葉が使われる語が大好きなんですよ。「無常」とか「無我」とか出てくる仏教は、中二病が好きな香りが漂っています。

 私の中二病心が刺激される一番好きな仏教用語は「非想非非想処」(ひそうひひそうしょ)という言葉です。
 「非想」だから「想にあらず」で中二病が大好きな否定の言葉ですよ。しかもさらに「非非想」だから「『想にあらず』にあらず」という、否定の否定ですよ。なんだか意味は分からないですけど、カッコいい感じしません?
 思わず言いたくなりますよね、ひそうひひそうしょ。「ひひそう」のところがポイント高いです。
 この用語が使われる文脈は瞑想でものすごく集中力が増していったら到達するすっごい境地(語彙力)のことです。まあなんかすげーんですよ。
 いや良いんですよ、正確な意味は。なんかカッコよさそうだったら良いんです。中二病的には。

 日本に仏教が伝来したのは中国経由です。そのため、インドでの仏教用語が中国で一旦漢訳され、その後日本に届きました。だから仏教用語は難しげな漢字が使われることが多いんですね。中二病患者は普段使わないような難しい漢字が大好物なので、こういう事情で仏教用語が漢字なのは嬉しい限りです。

 他方、仏教でも密教系になると、漢字では無くて呪文的なカッコよさがあります。いわゆる「真言」と呼ばれるものです。
 有名な般若心経でも最後に「ギャーテーギャーテーハラソーギャーテーボージーソワカ」って唱えますが、あれも真言です。
 大乗仏教では仏さまはお釈迦様以外にもたくさんいる、という世界観です。日本での密教系の宗派である真言宗では、その仏さま毎に真言があります。
 有名な毘沙門天の真言は「オン ベイシラ マンダヤ ソワカ」ですし、大日如来の真言は「オン アビラウンケン バザラ ダトバン」です。口に出して読んで見ると呪文感があってカッコいいですね。
 余談ですが地蔵菩薩の真言は「オン カカカビ サンマエイ ソワカ」です。この真言、私はカッコいいと言うよりちょっと可愛い気がします。カッコいいと思うか可愛いと思うかは感性の問題でしょうけど。

 
 ところで、中二病が別名「他人とは違う俺カッコイイ病」と呼ばれるように、中二病はアイデンティティ獲得欲求(「他人とは違う俺」の部分)と自己承認欲求や自己顕示欲(「カッコイイ」の部分)が絡み合った状態です。
 そう考えると仏教は煩悩を滅尽することを目標とするので「自己承認欲求」と「自己顕示欲」とは相性が悪く、「無我」を説くので「アイデンティティ獲得欲求」とも相性が悪い気がします。教義の上では相性最悪なのに、表面的な部分や用語において中二病ホイホイなところがある仏教は、実はなかなか罪深い教えなのかもしれません。ひそうひひそうしょ。


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 最後まで読んでくださりありがとうございました!