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「祈る」という行為

 フランシスコ教皇が10月27日(金)を平和のための断食、悔い改め、祈りの日とすることを発表しました。

 私はこのことを翌日28日に知ったため、27日には何もできませんでしたが、28日は昼食のみ食べずに過ごしました。

 こういう活動を、現代日本人の多くがどのように感じるか、私は想像するしかありませんが、「偽善的」「祈ったところで何になる」という批判はあるだろうと思いました。しかし、私はこの行いには確かに意味があると思っています。
 
 科学的には何の証拠もないでしょうが、私は「祈り」という行為には確かな効果がある、と確信しています。私は10月27日は仕事をしておりましたが、なぜか前向きな気持ちで過ごせた一日だったので、後になって「ああ、あの日は多くの宗教者が平和のために祈ってくださっていたから、私も気持ちよく過ごせたんだな」と思いました。
 こんなことを言うと「非科学的な世迷言」と一蹴されそうですが、私は本気で世界中の人の祈りのおかげで気持ちよく過ごせたと信じています。

 「祈り」、古くから日本では「加持祈禱」として祈る行為が実際的な効用を持つと信じられて行われてきました。拝み屋と言われるように祈ることで人の病気やケガを治すような職業の人や、高僧が人の病気や怪我を治したという逸話は枚挙に暇がありません。現代日本において、そういう昔の逸話を信じる人は少ないでしょうが。
 逆に、人に悪い影響を与える行為を「呪い」と言い、これも古今東西で多くの事例があります。何となくですが、現代日本においては「祈り」で人に良い影響を与える話より、「呪い」で人に悪い影響を与える話の方が信じられているように感じます。根拠があるわけではなく、ただの私の肌感覚によるものですが。

 祈りが世界に具体的な影響を及ぼすことの一つの説明として、こういう説明はどうでしょうか。
 「世界が平和でありますように」と一所懸命に祈る行為は、祈っている人の心に影響を与えます。その影響は、祈っている人の慈しみの心や人の不幸を悲しむ心(慈悲)を強めるものであるでしょう。そうした心を持った人が他の人に関われば、関わった人にもその人の慈悲の心が伝播することはあります。伝播せずとも、何かしらポジティブな影響を与えるでしょう。祈る人が多ければ多い程、慈悲の心が強まる人が多くなり、その影響を受ける人も多くなります。そうして局所的に広がる慈悲の心がそこかしこで網の目のように徐々に広がり、その網の目が重なっていき、やがて大きく世界に影響を及ぼすこともあるでしょう。
 こういう考え方もまだ現実味がないかもしれませんが、「祈りで世界が良くなる」ということの一つの考え方の例として示してみました。

 そもそも私は、「科学的」と言われることが世の中の全てとは思っていません。科学で世界の全てが分かると思っていません。
 科学的知見とは、あくまで私たちが科学の手法に則って理解できる範囲の世界の姿の一部であって、世界の姿の全てではありません。今の科学の手法で理解できていない世界の姿、世界の仕組みは今もあります。あるからこそ、今も科学者が多くの研究をしているのです。
 科学的な新しい発見により、今までの常識が覆されることがよくありますが、それ自体が、世界への今の科学的理解のあり方が完全ではないことの証左と言えます。
 そして、世界の全てを科学が理解できることはないでしょう(今後「科学」の枠組みが変われば、世界の全てを理解できることがあるかもしれませんが)。

 さて、繰り返しになりますが、私は「祈り」などの精神的な行為が具体的な世界に影響を及ぼす、という「世界観」を信じています。
 そして、その世界観を同じように信じている人たちは、世界にたくさんいます。高森草庵で出会った方々も同じでした。彼/彼女らは祈りが確かに世界に影響を与えると信じ、毎朝晩祈りの時間を設け、月に一度は平和の祈りの行脚を行っていました。
 キリスト教では祈りは重視されていますし、イエス・キリストが行った数々の奇跡は事実だと信じている方々の集まりですので、フランシスコ教皇が27日を祈りの日と定め、28日に1時間の祈りを捧げたことは、平和のための具体的な行為として行ったはずです。私たちが災害があった地域にボランティアに行ったり支援物資を寄付したりするのと同じ強度の意味がある行為であったと推察します。
 つまり、彼/彼女らにとっては、祈ることは確かに戦争などに対して具体的に行えるアクションなのです。


 人にはそれぞれお役目があり、祈るという行為の実際的な意味と効果を信じている人たちには、その重要性を伝えるお役目があるのだろうと思います。
 今回のフランシスコ教皇の取り組みで、私自身「祈り」という行為について改めて考える契機をいただきました。


 本日は以上です。スキやコメントいただけると嬉しいです。
 最後まで読んでくださりありがとうございました!