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「人と違う俺カッコいい病」の一症例
私は天邪鬼で人と違ったことを言う・することに愉悦を覚えるところがあります。多くの人が賛成していることに敢えて反対したり、誰も見向きもしないものを好きになったり。
そういう傾向性がある私にとって、一休禅師の以下の逸話は私の天邪鬼な感性に合いました。
あるお正月の日、人々が新年を祝って明るい雰囲気でいるとき、一休禅師がシャレコウベ(人の頭蓋骨)を杖の先端に乗せて「元旦は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」と言って市中を回ったという逸話です。
この逸話の解説には、人々が浮かれているところで敢えて人骨という人の死を象徴させるものを見せ、自分がいつか死ぬということを人々に思い出させて日々を懸命に生きる大事さを教えたのだ、とありました。しかし、普通に考えて、人が楽しく過ごしている雰囲気をぶち壊すこのような行為は趣味の悪い行いだと思います。しかし、私は中二病の心がうずくのか、この一休禅師の逸話を聞いた当時「カッコいい!」と思って憧れました。
そして、私は昨年末、一休禅師と似たようなことをしてしまいました。
クリスマスは現代日本においては単なるイベントで、多くの人にとって楽しむための行事でしょう。私はそれを承知であったにもかかわらず以下の投稿をしました。
投稿した当初は純粋にこういうことがあったという事実を述べるだけの意図で投稿したつもりでした。しかし、普段あまりつぶやきのような投稿をしない私がなぜあのような投稿をわざわざしたのか思い返すと、幼稚な心の現われが見えてきました。
一つは、浮かれている人たちの心に水を差して注意を引きたい、という心です。世間がクリスマスを祝ったり楽しんでいる中で、敢えて暗い話題、真面目な話題を絡めて投稿することで、他の投稿と違いを出して注目を集めたかったのです。
もう一つは、明るい話題であるところに「戦争で苦しんでいる人がいる」という真面目で深刻な話題を示すことで「人が浮かれている時も深刻な話題を気に掛けている俺カッコいい」と思う心がありました。
「戦争で苦しんでいる人を思うこと」というのは、現代日本の倫理観では茶化すことがためらわれる事実です。その話題を出されると、浮かれた気分のときでも明るい気分をそっと収めて、深刻そうな顔をしていないといけない気がしてきます(本当は別にそんなことをしないといけない決まりは無いのですが)。私はそのことが分かった上でクリスマスのみんなが楽しんでいる雰囲気のところに「戦争」の話題を出したのでした。
私の行いを高名な一休禅師になぞらえるのは不遜ですが、悪い意味で一休禅師の元旦での行いに似ていました。人々が楽しんでいる雰囲気のところを「死」などの深刻な話題を出すことでぶち壊しにする、という意味において。
先に述べたように、このような投稿した原因として大きいのは、「人と違う投稿をすることで注目を集めたい」という集注欲求及び「多くの人と違う物事の見方をしている俺カッコいい」という自己陶酔の二つです。
いま振り返ると恥ずかしい投稿でしたが、もしかしたらこの気づきがどなたかの役に立つかもしれないと思い、記事にしました。
本日は以上です。スキやコメントいただけると嬉しいです。
最後まで読んでくださりありがとうございました!