矢野智徳 氏の覚悟と引責の態度
旧グリーンピアせとうちにおける工事で、矢野智徳 氏の活動を目の当たりにし、「この人は命を削りながら動き続けている」と驚嘆しました。
今回の工事は3月25日から始まり、矢野さんは26日の昼過ぎに現場に到着しました。矢野さんはこの現場に入る前は能登の被災地で環境改善活動をされており、その次に東京都で大規模な樹木の移植作業をこなし、その足で広島県呉市安浦町にある旧グリーンピアせとうちの現場に来られました。
連日の作業で疲れているはずなのに、現場に到着したらすぐに状況を確認し、作業の指示を出し、御自身もすぐに作業に加わりました。その日は日が落ちた後も作業を行い、翌日27日は朝6時半から現場に入り、作業を行われました。
矢野さんは次の予定があり、28日の昼まで作業を行い、次の予定地である和歌山に移動されました。が、30日にもう一度こちらの現場に戻り、夜遅くまで作業し、また次の現場に出発されました。
矢野さんは様々な現場を依頼されていて、打合せなどもしなければならないのでスケジュールが過密で、その中で作業も自ら行っているので、私には矢野さんが自らの命を削りながら作業しているように感じました。
矢野さんがこれほどの過密スケジュールで活動されている理由は何でしょう。私はその理由を矢野さんから直接伺ったことは無いですが、今回の現場の時、次のようなことを言われていました。
・豊かだった日本の自然環境はわずか数十年でどんどん荒れてきている。今の社会はかつての豊かさを食いつぶしながら進んでいる。今までの豊かさで何とか保ってきたが、もう限界に来ている。
・子どもたちに何を残すのか。今の食いつぶして荒れてしまった自然環境を残すのか。このまま進んでいくと、日本が安心して暮らせる土地では無くなってしまう。
・今やるしかない。今自分たちが担わないといけない。いずれみんな(恐らく日本人全員のことを指している)が担わないといけなくなるから、まずは自分たちが担わないといけない。
この発言から、矢野さんは次代に対する責任感で動かれているのではないか、と私は思いました。
矢野さんは、まず前提として、今の日本の自然環境が荒れ果てていて、今のまま社会が進んでいくと取り返しがつかないほど自然が破壊されてしまう、という現状認識があります。そして、子どもたちにそんな荒れ果てた自然環境を残すわけには行かない、という責任感から、無理をしてでも環境改善をする技術を持っている自分が動かないといけない、と思われているのではないかと私は推察しています。
今回矢野さんと工事を一緒に行って思ったのは、矢野さんの凄みは環境改善の技術・技量というより、環境改善に向けるこの尋常ではない熱量ではないかと思いました。
矢野さんは過密なスケジュールを厭わず、また現場でも厳しい役回りを自ら引き受けられています。
今回の現場は人手も時間も非常に限られた中での工事だったので、作業していたスタッフは非常に厳しい状況でしたが、矢野さんはそのさらに上を行く厳しい状況を自らに課していたので、スタッフたちも矢野さんに付いていったところがあります。「自分も苦しいけど、矢野さんはそれ以上に苦しいから、自分だけ弱音を吐くわけにはいかない」という気持ちです。少なくとも私はそういう気持ちで作業していました。
この矢野さんの自ら苦しい役回りを引き受け続ける意欲、気持ちこそが一番の凄みであり、そしてその意欲・気持ちを矢野さんと同等に持ち合わせている人はいないように、私の目からは見えています。
つまり、今矢野さんが亡くなったり、作業ができなくなるようなことが起きた場合、矢野さんが切り開いてきた「大地の再生」という環境改善の方向が確かに継承されるのか不明なところがある、ということです。
実際、私自身、矢野さんのように自分の命を削りながら、人生を環境改善活動に注ぐ覚悟があるか、と問われると「否」と答えるしかありません。私にとって環境改善活動は贖罪行為であり、また自分で自分を肯定するための活動ではありますが、人生全てをそれに注ぐ覚悟はありません。
そもそも、矢野さんほどの熱量で環境改善に取り組むのには、「環境改善をやろう」と思ったからできるようなものではないのでしょう。
つまり、「環境改善に取り組む」と「他のことをする」という選択肢があって、「環境改善に取り組む」という選択肢を選ぶ、というようなものではなく、矢野さんにとっては「環境改善に取り組む」という選択肢以外あり得ず、だからこそそれに人生の全てを注いでいるのだと思います。
それは、矢野さんの今までの人生の歩みや活動の積み重ねやその中で感じられてきた様々な事柄によって、結果として今の矢野さんの在り様が定まったのだと思います。今の私には、矢野さんが経験されてきた様々な事柄に匹敵するような経験・体験は無いので、環境改善活動に対して矢野さんほどの熱量が持てないのは当然かもしれません。
とはいえ、矢野さんの環境改善に対する危機感と覚悟は、共に工事をすることでより感じることができました。
矢野さんが感じているほどの危機感を感じておらず、また矢野さんほどの覚悟もない私が、工事を共に行えたことの意味をこれからの環境改善活動において深めていきたいと思います。
なお、最後に補足しますと、矢野さんは決して威圧的であったり、怖い方ではありません。先に紹介した矢野さんの言葉は非常に強い表現に思えますが、実際の矢野さんは物腰の柔らかい方です。現場での作業中も眉間にしわを寄せているような険しい表情ではなく、柔和な表情で、作業の説明をしてくださる時は笑顔も見せています。作業の指示は時間的にも技術的にも厳しいものでしたが、威圧的な態度は全くありません。
私が勝手に「命を削っている」とか思っているだけで、御本人はそこまで思っていないかもしれません。厳しさや気迫もありつつ、どこか軽やかさが常にある不思議な方です。
矢野さんは全国で講座を行っていらっしゃるので、機会がある方は是非参加して、自然を体現している矢野さんにお会いして欲しいと思います。