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神秘体験はしたことがない

 私は以前から宗教に関心が強くあったので、いろんな宗派の教会やお寺や自己啓発セミナー的な集まりによく行っていました。
 そこで普通の社会ではあまり会わないような人とも会ってきたのですが、そういう人たちと話していて毎回思うのは「私は神秘体験をしたことがないなぁ」ということです。

 私がここで言う「神秘体験」というのは、普通の社会生活では出会うことのない超常現象及び超常体験です。

 例えば、修験道などの日本的修行の場面で、身体が正座の状態のままぽーんと何mも身体が跳ぶ現象があります。筋肉の働きでは決して行うことのできないその現象が起きる状態を、修験道などの文脈では「神が降りた」とか「天狗が憑いた」という表現で説明します。
 また、同じ文脈で口から呪文のような自分でも聴いたことが無い言葉が勝手に出てきたり、手が勝手に動いて印を結ぶような現象も起こります。
 勝手に呪文を唱えたり、勝手に手が動くのは精神医学のヒステリーに似た現象なので現代医学でも説明できそうですが、正座の状態のまま跳び上がる現象は、物理的に無理なので超常現象として説明されることが多いです。

 また、別の例でいえば瞑想実践においても超常体験というのがあります。
 これは仏教の瞑想に限らない話なのですが、瞑想で集中力が非常に強まってくると、自分が無くなって周囲と一体になる感覚であるとか、自分の身体のおへその辺りに強い熱と強いエネルギーを感じて力強さを感じるとか、宇宙と一体になったような感覚を覚える人がいます。
 仏教では集中力のことを「定力(じょうりき)」と言いますが、そういう体験をできる方々は定力が強い方なのだと思います。
 こうした超常現象という類でなくても、感性の鋭い方は特に修行をしていなくても体験する人はいます。例えば本に呼ばれる人とか。

 さて、先ほども書きましたが、私はそういった体験をしたことがないのです。
 
 超常現象や超常体験の話を聞くたびに私は「そういう体験をできたらカッコいい!そういう体験したことあるって言ったら箔がつきそう!俺もそういう体験したい!」と思っていましたが、今になってもそういう体験をしたことがありませんし、超常現象を見たこともありません。
 瞑想にて体験したことが無いのは私に定力が育ってないからなので完全に私の修行不足が原因なのですが、超常現象に関してはなぜなのでしょう。私はけっこう怪しいセミナーにも興味本位で参加したりしてたので、超常現象を見る機会は多くあったのではないかと思うのですが、参加していたセミナーがニセモノばかりだったのかもしれません。

 しかし、若いころはそうした神秘体験をしたことがないのを残念に思っていましたが、今はむしろそういう体験をしてこなくて良かったなと思います。

 私は簡単に信じたり思いこんだりする性格なので、もしそういう神秘体験をしていたらその宗教なりセミナーなりにハマり込んでいたと思います。自分を特別な人間だと勘違いもしていたかもしれません。今のように林業をすることもなく怪しい壺を売り歩いていたかもしれません。
 たとえハマり込んだ宗教が怪しいものでなく真っ当な教えのものであっても、もしのめり込んでいたらその教えを独善的に人に押し付けていたことでしょう。私は一度ハマったら視野が狭くなってそれしか見えなくなる性格なので、絶対そういう迷惑な人間になっていたと思います。

 そういう意味で、私がそういう神秘体験をしてこなかったのは良かったなと思います。間違いを犯さなくてすんだので。
 ただ、今でももし神秘体験を経験したら、コロッとそっち側に転ぶ程度に修行が浅い人間なので、もし私が急にnoteで怪しい壺を紹介し始めたら「あ、こいつ転んだな……」と思ってそっとフォローを外してください(笑)


 本日は以上です。スキやコメントいただけると嬉しいです。
 最後まで読んでくださりありがとうございました!